仮面VS美人2



 ゆっくりと地球が大きくなっていく。
「……ここまで来ちゃうと……自力で重力圏を抜けるのは不可能か……なら、諦めて大気圏に突入した方がいいかな?」
 ストライクには単独突入ができる機能があるし……とキラは付け加える。最も、それはパイロットの無事を確約してくれる物でないことはわかっていたが。
『キラ!』
 雑音混じりの回線からアイシャの声が届く。
「ごめん……ちょっとそっちに帰れそうにないから、先に隊長の所戻ってるね……拾いにきてって……」
 伝えてくれ、と言う言葉を伝えようとした瞬間、通信が途切れる。
 だが、彼女のことだ。即座に地上――バルトフェルドへ連絡を入れただろう。後は、自分が少しでも彼らの側へと落ちるだけのことだ。
 キラは体にのしかかってくるGの中、何とかスロットルを動かす。
「……Gは我慢できるけど……この暑さは……」
 さすがに辛いな……とキラは呟く。
 コーディネーターである自分たちだから辛うじて耐えられるのだろうが、ナチュラルでは絶対に無理だ……と思う。
 実際、キラも次第に意識がもうろうとしてきたことを否定できなかった。
「ともかく、ザフトの勢力圏内に落ちればいいや」
 細かい調整は不可能だと判断して、キラはこう呟く。
「誰か、拾ってくれるだろうし」
 彼の脳裏にバルトフェルドの関係で顔見知りになった隊長達の顔を思い浮かべつつキラは目を閉じた……

 ストライク――キラからの通信が途絶した瞬間、アイシャは地上へと通信回線を開かせた。
「アイシャ殿?」
 そんな彼女の背に、クルーゼの楽しげな――と言っては語弊があるだろうか――声が届く。
「彼らを回収しなければならないのではないですか? キラなら無条件で誰かが安全なところまで保護するでしょうけど、他の二人はわかりませんわね」
 なんせ、誰かさんの部下ですもの……と言う言葉をアイシャは敢えて口にしない。だが、しっかりとアデス達の耳には届いてしまった。
「そのようなくだらない差別があるとでも?」
「くだらない差別の原因を作ったのは、どなたかしら?」
 アイシャの紅い唇がにっこりと微笑みの形を作る。
「最初は友好的だったのよね。少なくとも、誰かさんが会議に参加するようになるまではね」
 だが、彼女の瞳は少しも笑っていない。その冷たさに、ブリッジクルーは誰もが恐怖を覚える。しかし、向けられた当人はそう思っていないようだ。
「そうだったかな?」
 しれっとした口調で言い返しながら、口元に冷笑を浮かべている。もちろん、それがアイシャをあおるためのものだと言うことはその場にいた誰の目にも明らかだった。
「あら……もう惚けられましたの? いやですわね」
 しかし、そんな挑発にあっさりと乗せられるアイシャでもない。微笑みを深めながら、それでもしっかりと言い返す。
「さっさと引退された方がよろしいのではないかしら?」
 彼女が何かを言うたびにブリッジ内の気温が下がっていくような気がするのは気のせいだろうか。
 いや、これも最近よくある現象だ。
 これを回避するには、早々にアイシャ――あるいは自分たちの上司――の意識を相手からそらすことしかない。
 そう判断したクルーの一人が地上へと通信を開く。もちろん、その先はサハラではなくジブラルタルだというのはこれ以上の恐怖を味わいたくなかったから……というのは言うまでもないだろう。
「アイシャさん」
 ともかく、彼女に用事を済ませて貰うのが先決だ。割って入った場合のとばっちりは怖いが……と思いながらも、通信担当のクルーは決死の思いでアイシャに声をかけた。
「回線が繋がりました」
 と。
「ありがとう」
 その瞬間、ふっと空気が柔らかくなる――その事実に、彼は後々まで『勇者』と言われていたとかいないとか――そのままアイシャがモニターへと近づいてくる。
『クルーゼが何のようだ……と思ったら、君か、アイシャ』
 憮然としていた指揮官らしき男が、彼女の姿を認めた瞬間、いきなり表情を和らげた。その豹変ぶりに、地上では自分たちの上司は蛇蝎のごとく嫌われている、と改めて認識させられてしまったクルー達である。
「お久しぶりね。ちょっとお願いしたいことがあるの。かまわないかしら?」
 柔らかな笑みを浮かべるとアイシャは彼に言葉を投げかけた。
『お願い? 後ろにいる男に関係していることなら、君の頼みでも聞けないが?』
「関係していると言われれば言えるかもしれないけど……家のオコサマがらみなのよね。話は聞いているのでしょう?」
 アンディから、と彼女は微笑みながら付け加える。
『あぁ、あの件か。では仕方がないな。何をすればいい?』
 あっさりと頷かれるあたり、地上では一体どんな噂が広まっているのだろうか……と誰もが思う。アデスあたりはストレスのせいか、無意識に胃のあたりを押さえていた。
「ちょっとしたアクシデントで、MSが三機落ちちゃったの。そのうちの一つにあの子が乗っているし……残りの二機のパイロットもあの子が気に入っているのよね。と言うわけで、回収してくれるかしら? あの子に関してはMSごとアンディの所へ搬送してくれると嬉しいわ」
『そう言うことなら無条件で引き受けよう。我々としても、有能なパイロットは失いたくない。それ以上にあの子の信頼は失いたくないものだからな。直ぐに全ての隊に指示を出しておくよ』
 まぁ、誰かさんに貸しを作っておくのもいいだろうしね……と笑う彼の言葉が誰を指してのものか、一同には分かり切ってしまった。
「お願いね。きっと、熱を出しているわ、あの子達」
 あの状況では仕方がないんだけど……と言いながら、アイシャの眉が寄せられた。
『アイシャ?』
「何でもないわ。多分、杞憂よ。でもね、あの子だけは少しでも早くアンディの所へお願いね」
 その言葉の裏に自分たちが知らない何かが隠されているような気がする、と誰もが思う。ひょっとして、彼女がこの艦に乗り込んできたのも、それが原因なのではないだろうか、と。
『わかったよ。君も早々に戻ってきてくれると嬉しいね』
「善処するわ。なんせ、ここでは自由に動けないもの」
 誰かさんのハーレムだし、と婉然と微笑みながら言われてしまえば、どう反応をしていいのやら。思わずそっと涙をぬぐった者もいたほどだ。
「で、これからは君の逆ハーレムと言うことかな?」
 だが、クルーゼはまったく気にする様子を魅せない。どころか、アイシャに向かってこんなセリフを投げつける。
「あ〜ら。別段、貴方と違ってそう言う趣味はありませんわ。すてきな恋人と可愛い子供が一人ずついれば十分でしょ」
 そして、その願いは十分叶えられているもの、とアイシャは微笑む。もちろん、その瞳はまったく笑っていなかったが。
「貴方みたいにあちらこちらからつまみ食い……なんて、下品なことはできないわ」
 そのつまみ食いというのはいったい何なんだ、と突っ込みたい、と思ったものが数名。だが、それを口にする勇気がある者は誰もいない……と言うよりも聞いてはいけないような気がすると言うのが正しいのか。
「ほう……何の話だか」
 身に覚えがありませんな、とクルーゼの口元が笑みの形を作る。その瞬間、ブリッジ内の温度が微妙に下がったような気がするのは気のせいだろうか。
「あら、自覚がないんですの? 地球軍にもお気に入りがお一人おいでになると言う噂でしたのに」
 最も、その程度でひるむアイシャではないことも彼らはよく知っていた。
「いっそのこと、その方を拉致って来て他には手を広げない方がよろしいのでは」
 そうすれば、被害は少なくて済みますもの、と微笑む彼女の周囲も負けじと涼しい。
「……あれは今ひとつかわいげにかけるのでね」
 それはそれでつつくのが楽しいが……と口にする上官に、本気で泣き出したくなるもの多数。アデスにいたっては、胃のあたりを押さえつつ反対側の手をいすの背に置いて体を支えているのがやっと、と言う状況だった。
 仮面の下に隠されていた彼の本性を知りたいと思っていたことは事実。だが、それがこんなだったとは、知らない方がよかった……と心の中で叫んでいたとしても、誰もとがめることはできないだろう。
「それに、一緒に落ちてしまったしな」
 拾いに行くのも面倒だ……と言う問題なのか。
「それはよろしいですわね。いっそのこと、絶対に地上に降りてこないで頂きたいわ。空気が汚れるから」
 宇宙空間なら、あなたがいる場所だけだけど、地球は全部繋がっているもの……とアイシャは朗らかな口調で告げる。最も、内容は正反対だったが。
「私は病原体かね?」
 仮面の下では一体どのような表情をしているというのか。それがわからないだけに、はっきり言って不気味だ。
「違いました?」
 と言っても、表情がわかっても本心が読みとれないのでは同じなのだが。
 さて、そろそろ医務室にいつものように胃薬を頼んでおかなければやばいか。
 アデスが視線でクルーの一人にそう告げる。
 こうして、また今日も大量の胃薬が消費されたのだった……

 何か冷たいものが額の上にのせられた。
「つめた……きもち、いい……」
 キラの口から、声にならない呟きが漏れる。
「熱が出ているんだよ。寝ていなさい」
 耳になじんだ、優しい声が自分の上に降ってくるのをキラは認識した。しかし、これは一体誰の声だったか、直ぐには思い出せない。
 だが、彼が自分の中でどのような存在かは直ぐに思い出せた。
「……うん……おとうさん……」
 優しい手に、キラはうっとりとした微笑みを浮かべるとこう告げる。
「キラ?」
 まだ意識がはっきりとしていないのか……と心配そうにその声が口にした。その間にも彼の指はそうっと髪の毛を梳いてくれる。その刺激がキラの意識を再び眠りの中に導いていった。
 穏やかな寝息がその唇からこぼれ落ちる。
「……大丈夫なのか?」
 その寝顔から視線をそらず事なくバルトフェルドは医師に問いかけた。
「ご心配なく。明日か遅くても明後日までには熱が下がります。そうすれば直ぐに元気になりますよ」
 アイシャさまもその時までには戻っておいでになるでしょう、と彼は付け加える。
「ならいいのだが……しかし、派手な帰還だったな、この子らしくない」
 まぁ、無事に戻ってきてくれたから文句は言わないが……とバルトフェルドは苦笑を浮かべた。
「仕方がありますまい。一緒に落としたものが足つきですから」
 地球軍の支配区域に落ちなかっただけでも上出来でしょう、と口を挟んできたのはダコスタだった。
「では、この子の努力を無駄にしないようにしないとな」
「わかっています。隊長はキラの側にいてやってください」
 偵察ぐらいなら自分だけで十分だ、とダコスタが笑う。
「そうさせて貰うよ。この子の意識が戻ったら、ほめて、ついでに甘えさせてやらなきゃないからね」
 それにきっぱりと言葉を返すバルトフェルドに、その場にいた誰もが笑みを浮かべた。
「そうしてやってください。本人は嫌がりそうですけど」
 まぁ、皆に心配をかけた罰には丁度いいでしょう……と言いながらダコスタはドアへと歩き始める。それを合図にしたかのように、すべての者が部屋から出て行った。後に残ったのはベッドの上で眠っているキラと、その側に腰を下ろしているバルトフェルドだけだ。
「お帰り、坊や」
 目を細めると、バルトフェルドはこう呟く。
「そして、いい夢を」
 言葉と共に、彼はキラの布団を直したのだった……

ちゃんちゃん
03.08.21 up



中途半端にシリアスですね(^_^;
次の連載の話を考えていたらこんな事に……