旅日記・五
「三蔵〜〜」
 その叫びとともに彼らが泊まっている部屋のドアが開かれる。同時に両手に山のように荷物を抱えた悟空が飛び込んで来た。
「うるせぇぞ、猿」
 相変わらずの行動パターンに呆れながらも、三蔵は悟空に向かって手を差し伸べる。
「マルボロ赤、買ってきたんだろう。寄越せ」
 その一言に、悟空は取り敢えずというようにテーブルの上に荷物を置いた。そして紙袋の中から三蔵の望みの物を捜し出すと手渡す。
「なぁ、三蔵ってば」
 よほど話したい事があるのか、悟空はまた三蔵の名を呼んでくる。
「言いたい事があったらさっさと言え」
 ようやく半日の禁煙から逃れられるとばかりに封を切りながら三蔵が怒鳴る。他の人間なら、その一言でもう話しかけようとは思わないだろう。しかし、怒鳴られる事が日常になっている悟空は言われるままに口を開いた。
「あのさ、三蔵って『チェリー』なのか?」
 何時もの口調で悟空がそう問いかけてくる。
「あぁ……」
 そうだと言いかけて、三蔵はそのまま固まってしまう。
(……こいつは意味が分かっていていっているのか……それとも、他の何かだと勘違いしているのか……)
 悟空の事だから後者だろうとは思う。思うのだが、その場合、いったいどこからその知識を得て来たのかと言う問題が出てくるのだ。と言っても、今までの経験からして可能性は一つしか考えられないのだが……
(ったく面倒な事を……)
 ちっと小さく舌打ちをすると、三蔵は深々とたばこの煙を吸い込んだ。
 その仕種をどう判断したのだろう。
「なぁ、チェリーってサクランボの事なんだよな? どうして三蔵がサクランボなんだ?」
 悟空はさらに疑問をぶつけて来た。予想どおりの誤解に、三蔵は呆れればいいのか怒ればいいのか判断をつけかねてしまう。
(……こいつの無知に関しては俺にも責任がないとは言えねぇからな……)
 とは思うものの、悟空を日常生活に適応できるように調教する方で忙しかったのだから仕方がねぇだろうとも思うのだ。ようするに、悟空が五行山に閉じ込められる前に面倒を見ていた人間がその点をきちんを仕込んでおいてくれれば、そっち方面の知識についてもそれなりに正しい内容を教えられたのに……と言う言い分だったりする。
(ったく……どう言いくるめるかな……)
 真実を教えれば、今度はどうしてそうなのかという事を聞いてくるに決まっている。悟空の頭で仏教の戒律をどこまで理解できるかと言う問題まで三蔵の頭の中に沸き上がってしまった。
「それはですね」
 その時、いきなり八戒の声が室内に響いた。
 思わず、三蔵は吐き出そうとしていたたばこの煙をまた吸い込んでしまう。次の瞬間、盛大に咳き込みはじめてしまった。そんな三蔵と同様によほどびっくりしたのだろう。悟空は悟空は思わず床から飛び上がってしまった。
「八戒、いつ来たんだ?」
 それでも、相手が八戒のせいか悟空は直ぐに平静を取り戻す。
「さっきからいましたよ? 気がつきませんでした」
 そのセリフに、悟空はもちろん、三蔵までショックを受けてしまう。
(……やっぱ、こいつは侮れねぇ……)
 認めたくはないが、はっきりきっぱり、気がつかなかったのだ。
「そっか……急いでたから全然気がつかなかった」
 悩むのは性に合わないと思ったのだろうか。悟空はあっさりと自分が八戒の存在に気がつかなかった事実を認める。
「そうでしょうね。ものすごい勢いで三蔵の所に飛んで行きましたからね」
 そういう悟空の態度が心地よいのだろう。三蔵や悟浄に対してなら遠慮なく浴びせかけるイヤミが八戒の口から出て来ないのは。どちらかというと、悪戯好きな生徒に対する教師のような口調に思える。
(そういや、昔あいつは本当に『先生』だったんだよな)
 初めて知り合った時に仕入れた知識がふっと三蔵の頭の中に浮かび上がって来た。と言う事は彼の生徒の中に悟空のような子供がいたのかもしれない。
(まぁ、あそこまで規格外じゃなかったんだろうけどな)
 今まで加えていたたばこをもみ消すと、三蔵は箱からまた一本抜き出した。そして火をつける。
「あれ? 何の話をしていたんだっけ」
 ようやく本題を思い出したのだろう。悟空はそう言いながら首をひねる。そのまま忘れていてもかまわんと三蔵は思うのだが、層は問屋が卸さないようだった。
「あぁ、そうだ。どうして三蔵がチェリーなのかって言う話だった。八戒、知っているか?」
 悟空のセリフに、八戒は意味ありげな視線を三蔵に投げかけて来た。どうやらどう答えればいいのか確認したいと言うより、三蔵がどう反応するのかを楽しんでいるようである。
(……本当に食えねぇ野郎だ……)
 そう思いながらも、三蔵は視線だけで余計な事を言うなと八戒に釘を刺す。それが伝わったのかどうか。八戒半三に向けて曖昧な笑みを返して来た。そしていきなりこんな説明を始める。
「あのですね。とある本注釈に『錯乱坊』という目茶苦茶生臭坊主が出て来ましてね。その人が自分の事を『チェリーと呼んでくだされ』と言っていたんですよ。それ以来、一部の人の間で生臭坊主の事を『チェリー』って呼ぶようになったんですよね」
 でもね、あまり言い意味ではありませんので、人前では使ってはいけないですよと付け加える。確かにこの内容の方が悟浄が使っている意味を説明するのよりはマシだろう。しかし、
(一体、どこの国のなんて言う本なんだ、そりゃぁ……)
 と思わずにいられない。
「なる程、そうなんだ。確かに三蔵って生臭坊主だもんね。ついでに鬼畜だし」
 だが、そんな内容でも悟空を納得させるには十分だったらしい。さりげなく余計な事を付け加えて八戒に頷いて見せている悟空に、三蔵はついついハリセンをかましてしまった。
「誰が鬼畜で生臭坊主なんだ?」
 そのまま悟空を睨み付けるが、本人は少しも答えた様子を見せない。
「三蔵」
 けろりっと言い返してくる。その上、八戒まで
「駄目ですよ、三蔵。いくら図星を刺されたからといって実力行使に出ては」
 と言ってくる始末。
(……ひょっとして、こいつ、猿に変な知識を教え込んで楽しんでいるんじゃねぇだろうな……)
 それとも、自分がここで見ているからなのか……と思わずに入られない三蔵だった。だからといって、八戒の説明を翻す為に真実を新たに説明し直す気力などなかったりする。
(こうなったのも、すべてあのバ河童が悪い……)
 にこやかにお茶の用意を始める八戒と既に意識をおやつに移している悟空を見ているうちに三蔵の中で怒りがふつふつと煮えたぎっていく。
「猿、そう言えば悟浄はどうしたんだ?」
 ふっと思い出したように問いかければ、
「好きな銘柄のたばこがなかったから、別の店を見てくるって言ってた。そろそろ帰ってくるんじゃねぇの?」
 八戒に出してもらったおやつを加えながら悟空が答えた。その瞬間、ドアの向こうから近づいてくる足音が聞こえてくる。
「たでーま。あぁ、疲れた。可愛いお姉ちゃんはいねぇし、たばこはねぇし、散々だぜ」
 その声とともにドアが開かれる。
 同時に三蔵が懐から昇霊銃を取り出した。
 その後、悟浄がどうなったかは言わぬが花だろう。
 次の日、八戒が宿屋の主人に頭を下げて謝っていたのは事実だったりするが。

「……本当、紅ゴキブリの頭には学習能力というのがついていねぇらしいな……猿でも三度怒鳴れば同じ失敗はしなくなるって言うのに」
 助手席でタバコをふかしながら三蔵がぼそっと呟く。
「そうですねぇ。毎回毎回、同じ事で宿の人に頭を下げる僕の身にもなって下さい」
 ハンドルをにぎりながら八戒も付け加える。もっとも、それは悟浄にだけ向けられたセリフではないのだが。もう一方の当事者は気にする様子も見せなかった。そんな彼らのセリフを聞きたくないというように、悟浄は耳を塞いでいる。
「腹減ったァ……なぁ、昼飯まだ?」
 ただ一人平和な悟空だけがいつもの口調でそう叫ぶ。
「はいはい、もう少し我慢して下さいね。あと少しでここを抜けますから。それからでもいいでしょう?」
 と八戒が言うのと同時に
「うるせぇぞ、猿。少しは我慢しろ」
 と三蔵が怒鳴る。
「……本当、お子さまは喰う寝る遊ぶしか頭にないんだねぇ」
 悟浄は悟浄で、前の二人にいじめられた鬱憤を張らそうというかのように、悟空をからかいはじめた。
「悟浄は女の事しか考えてねぇじゃん、エロ河童!」
「悪いか、お子さま」
 案の上というか、何時ものじゃれあいが始まる。紅孩児の刺客の影も見当たらない以上、切れた三蔵に怒鳴られるまでこれは納まらないだろう。
 平和と言えば、平和かもしれない。

ちゃんちゃん