旅日記・参
 久々の宿場町。
 しかも、シングルが四つ取れた。
 というので、夕食後早々に三蔵は自分に割り当てられた部屋に戻り、ゆっくりと新聞を堪能していたのだが……
「三蔵!」
 ノックも無しに飛び込んできた、人の姿をした台風にその時間を破られてしまう。
「……うるせぇ……何なんだよ……」
 何しに来やがったと言うようにわざとらしく音をたてて手の中の新聞を折り畳むと三蔵は悟空を睨み付ける。しかし、ある意味日常になってしまったそんな三蔵の仕種に今更びびるような悟空ではなかった。
「三蔵、三蔵って稚児趣味なのか?」
 興味津々といった気持ちを隠さない口調で三蔵に問い掛けてくる。もちろん、その口調からは知らない言葉の意味を教えて欲しいという感情が滲み出ている。それだからこそ、三蔵は辛うじて昇霊銃を悟空の眉間に向けて発射するのを我慢したのだ。
「その言葉、どこで覚えてきた?」
 悟空の口調からすると――というより、悟空の頭の出来からするとといった方が正しいと三蔵は思っている――つい最近覚えたのだろう。しかし、昼過ぎにここにつくまでの間、悟空の前でその単語を口にした記憶は三蔵にはない。いや、三蔵だけではなく他の二人もその単語を口にしていなかったはず……
(って事は、ここについてからなんだろうが……)
 夕食までは一緒にいたのだから、その後だろうとさらに時間を狭める。ついでに言えば、その時点でこの宿の客の中でそういう台詞を言いそうな人間の目星もついていた。というより、一人しかいないと言った方が正しいのか。
「下で、悟浄がお姉さん達と話してた時にさ、三蔵の話題が出たんだよ。そうしたら悟浄が『あいつは稚児趣味だから』って言ったんだ。俺、三蔵と結構一緒にいたけど、そんな趣味がある何て知らなかったし」
 下り坂どころか寒冷前線に成長した三蔵の機嫌すら、天然お日様の悟空には通用しなかったらしい。聞かれたから答えるという口調で悟空は素直に下であった出来事を口にした。
「そうか……あの18歳未満禁止生物は種なしなだけじゃなく頭の中身も目も節穴だったんだな」
 そう呟きながら三蔵は脇においてあった昇霊銃に手を伸ばす。
「三蔵?」
 何でここでそんなものが必要なのか判らない悟空が不思議そうに三蔵の名を呼んだ。
「ガキはさっさと寝ろ!」
 そんな悟空に対し、三蔵はそう怒鳴りつけると昇霊銃の手入れを始める。
「一発でぶち殺してやるのがせめてもの慈悲って事なんだろうな……」
 唇の端だけをつり上げながらそう呟く三蔵はかなり怖い。もっとも、悟空は少しもそう思わないのだが、長年の経験上、ここで邪魔をしない方が身のためだという事だけは判ったらしい。
「つまんねぇの……肝心要のことは全然わかんねぇし……そうだ。八戒なら教えてくれるかな」
 それがいいと自画自賛すると、悟空は回れ右をする。そしてまたぱたぱたと足音を響かせて三蔵の部屋を後にした。そのまま隣の部屋のドアをたたく。
「はい?」
 ドアの向こうから八戒の声が聞こえてきた。
「俺」
 悟空がそう言った次の瞬間、ドアが開かれ八戒が顔を出す。
「どうしたんです、悟空」
 何時もの人の良さそうな笑みを浮かべて、八戒は悟空を部屋の中に招き入れた。
「教えて欲しい事があったんだけど……」
 座って下さいと指し示されたイスに腰を下ろしながら悟空はそう口にする。
「なんです?」
 珍しいですねと付け加えながら、八戒は荷物を探っている。そして悟空用のおやつの袋を取り出すと、視線を再び彼に向けた。
「あのさ、『稚児趣味』ってどう言う事?」
「悟空?」
「それと、三蔵が『18歳未満禁止生物は種なし』って言ってたけど、本当なのか? って言うより、悟浄って種で増えるわけ?」
 予想もしていなかった質問の内容に、八戒はそのまま凍りついてしまう。
(……いったい、どこでそんな言葉を……少なくとも後者は三蔵だと判りますが……前者を言いそうな人間といったら、やっぱり悟浄でしょうか……)
 推測できてしまうのがちょっと悲しくなってしまう八戒だった。しかし、ここで悟空に下手に知識を与えて、保護者の不況を買うのも何だし……と八戒は思う。なので、状況を確認する事にした。
「悟空。すみませんが、誰がどのような状況でそのセリフを言ったのか教えてくれませんか」
 それから判断しても遅くはないだろう……と八戒は思ったのだ。しかし、悟空の方はまた同じ説明をしなければならないというのが面倒なのか、ムッとした表情を作る。
「……八戒も三蔵と同じ事言うんだな」
 しかし、その表情も長くは続かない。八戒が悟空の目の前にお茶とお菓子を差し出したからだ。
(悟空の機嫌をよくするにはこれが一番でしょう)
 やばい事態にならないうちに対策も練りたいし、三蔵が既にこの話を聞いているのなら時間的余裕がないだろうと八戒は思ったのだ。
「そうですか。でもね、一応前後の話も聞いておかないと、他の意味だったら困るでしょう?」
 意味など他にあるわけがない――いや、『種なし』の方にはある。というよりそちらの方が本来の意味なのだ。しかし、その事実を悟空が知っているわけはない。
「そんなに意味があるのか?」
 案の定、直ぐさまこう問いかけてきた。
「ありますよ。種なしの方は悟空も知っているのではありませんか? ほら、ブドウとカキやスイカに種の入っていないものがあるでしょう?」
「あ、そっか……で、どうして悟浄がブドウとかカキとかスイカと同列なんだ? あんなん食ったら腹壊すじゃねぇか」
 お菓子を次々に口に放り込みながら悟空は首をかしげる。
「他にも意味があるんですよ、悟空。だから、どういう状況でそういう話になったのか教えてくれませんか?」
 八戒に繰り返しこう言われては悟空も納得しないわけにはいかないらしい。仕方がなく、先程三蔵にした話とその後の三蔵の様子について八戒に説明した。もっとも、途中で何度か脱線しそうになるのをその度に八戒が軌道修正をしたので最後まで説明できたのだが。本人はその事実に気づいているだろうか。
 だがそれを確かめる余裕は八戒にはなかった。
「悟空、三蔵は昇霊銃の手入れを始めたのですね?」
「うん……ついでに一思いにコロスのが慈悲だとか何とかって言ってた」
 それはまずい! と八戒は立ち上がる。
「八戒?」
「三蔵は本気で悟浄を撃ち殺すつもりらしいです」
 早く止めないと……という八戒に、悟空はきょとんとした視線を八戒に向ける。そのくらいは日常茶飯事ではないだろうか。と言う思いがその視線に籠めれていた。
「でも、悟浄なら逃げるだろう?」
 ゴキブリ並みの逃げ足の速さなんだから……と悟空は付け加える。
「悟浄なら撃たれても死なないでしょうけどね。他の方々はそうはいかないでしょう? 悟浄がチョロチョロしたら三蔵だって狙いがそれるかもしれないし……それに、壁や食器が壊れたら宿の人たちが困るでしょう?」
 早口で説明された言葉の内容に悟空ももっともだと思ったのだろうか――それとも、面白い事が起こりそうだと思っただけなのか――悟空はそれ以上何も言わず腰を上げた。
 そのまま二人は廊下へと出ていく。
 その時だった。階下から銃声が二人の耳に届く。
「あっちゃ〜〜っ!」
「一足遅かったようですね……」
 二人は顔を見合わせてため息をつくと、階段を一気に駆け降りる。そしてその勢いのまま三蔵達に襲いかかる。
「悟空! てめぇ、何しやがるんだ!!」
 背後から飛び掛かってきた悟空に押し倒された三蔵がそう叫ぶ。
「駄目ですよ、三蔵……一般の方々にご迷惑を掛けちゃ……明日、広い所に出たら思う存分悟浄をいたぶっていいですから、今晩だけはおとなしくして下さい」
 逃げ回っていた悟浄を押さえつけた八戒がにこやかにそう諭す。
「八戒! お前、俺が殺されてもいいって言うのかよ!」
 関節技を決められた悟浄が、それでも逃げ出せないかとじたばたしながらそう叫んだ。
「何を言っているんです。元はといえば、あなたが余計な事を口にしたのが原因でしょう?」
「そこにいる馬鹿猿が三蔵に告げ口しなきゃばれなかったんじゃねぇか! 俺のせいかよ、俺の!」
「悟空がいるのに気がつかなかった悟浄のミスでしょう」
 本当にうるさいですね。八戒はそう付け加えると、笑顔のまま掌に気を集める。そして、そのままそれを悟浄にぶつけた。
「……八戒、こえぇ……」
 マジ怒ってた? と悟空が言うのに
「俺より鬼畜だな、あいつ」
 その光景に、さすがの三蔵も怒気を抜かれたのか素直に頷いて見せる。そんな二人の様子を気にする様子もなく、八戒は立ち上がる。
「皆さん、お騒がせしました」
 周囲の人々にそう謝ると、気絶した悟浄を引きずって階段を上がっていく。その後ろ姿を見送りながら、『八戒だけは本気で怒らせないようにしよう』と心に決めた悟空と三蔵だった。

ちゃんちゃん