迷子「……八戒……」 ジープの後部座席に立ち上がりながら、悟空が呼びかける。 「何ですか?」 いつものように穏やかな口調で八戒が聞き返してきた。しかし、その声がどこかぎこちないように感じられたのは気のせいではないだろう。 「あのさ……」 言いにくいという様子を隠さずに、悟空は口を開く。そんな彼の様子を、悟浄が珍しく心配だという表情で見つめている。 「何を言っても怒りませんよ」 バックミラーに映った二人の様子に苦笑を浮かべつつ、八戒は次の言葉を促す。 「ここさ……どこ?」 おずおずといった口調で悟空が言葉を口にした。その瞬間、悟浄が音を立てずに拍手をする。自分が言えば怒りをかき立てるだけのセリフだが、悟空が口にすればそうではないことを彼は知っている。つまり、彼も同じ疑問を持っていたと言うことであろう。 「どこでしょうねぇ」 あはははははと乾いた笑いを漏らしながら、八戒が言葉を口にし始める。 「ねぇ、三蔵?」 彼がこういったのは、助手席に座っている三蔵が地図を広げていたからだろう。もちろん、その言葉をまっすぐに受け止めたのは悟空だけだった。 「……知らん……」 苦虫を噛み潰したような……という表情がぴたりと当てはまる表情で三蔵が答える。その理由はもちろん、八戒が本当に言いたい言葉の意味を正確に受け止めたからだ。 「そうなんですか? てっきり三蔵に聞けば大丈夫だとばかり思っていましたよ」 にっこりと微笑みながら口に出したこのセリフがイヤミだと気がついたのだろう。悟浄が声を立てずに絶叫している。 「……そう言うテメェの方がてっきり道を知っているもんだと思ってたんだがな」 周囲の気温を下げながら三蔵が八戒に言い返す。 「おや? 何でそう思ったのですか?」 心外ですねぇ……と微笑み返す八戒も負けじと背中にブリザードを背負い始めた。 「……俺、何かやばいこと言ったか?」 さすがにここまで来れば悟空でも二人の様子がおかしいと言うことに気がついたようだ。隣で呆然としている悟浄へと問いかけてくる。本人達に聞かないのは、それなりの自己防衛本能が働いているからなのだろうか。 「……じゃないけどな……下手に口をださねぇ方が身の安全のためなんじゃねぇの?」 下手に口を出したら、間違いなく矛先が向けられるであろう。そうなった場合、相乗効果が怖い……というのは今までの経験でよくわかっている。 「だよな」 こう言いながら、悟空もシートに腰を下ろす。 「だけどさ……腹へったぁ」 いつから飯喰ってねぇんだっけ……と指を折り始める悟空は、悟浄ほど前座席の二人の様子を気にかけていないのかもしれない。 (……さすが、猿……) それはおそらく、自分には二人とも甘いという事実をしっかりとわかっているからだろう。そう考えると、この一行の中で一番大物なのは悟空かもしれないと悟浄は心の中で呟く。 「もう、二日目じゃん! 腹へったぁ!!!」 悟空が周囲に響き渡る声で怒鳴った。これには冷戦中の二人もさすがに反応しないわけにはいかないらしい。 「ウルセェ、この馬鹿猿!」 いつものセリフを言いながら、三蔵は悟空の頭めがけてハリセンを振り下ろす。 次の瞬間、乾いた音が彼らの耳に届く。同時に悟空は頭を抱えながら、三蔵を恨めしそうに見上げている光景が見えた。 「だって……おとといはさは『明日になったら飯喰わしてやる』っていってたじゃん……」 でも、昨日も飯喰わしてくんなかったじゃないか、と悟空は唇をとがらせる。 「仕方ねぇだろうが。街につかねぇんだから。前の街でかった食い物の大半は、テメェのはらん中だろうが!」 人一倍食っといて文句を言うな……といいながら、三蔵はさらにもう一発殴ろうとハリセンを振り上げた。 「仕方ねぇじゃん! 腹、減るんだから」 喰わないと動けなくなるし……と悟空は付け加えつつ、悟浄を楯にするように移動した。 「俺を巻き込むんじゃねぇ!」 悟空のこの行動に、悟浄が抗議の声を上げる。だが、二人とも気にする様子はない。 「テメェだけが腹減ってるわけじゃねぇだろうが!」 三蔵は絶対悟空を殴ってやると体の位置を変えている。しかし、悟空も負けじと悟浄の影を移動するのだ。20センチメートルの体格差がこれほど恨めしいと思ったことがないと、悟浄は顔を引きつらせている。 「……二人とも、いい加減にしませんか?」 運転席から、完全に無視された形になった八戒が声をかけてきた。 「でなければ、ジープから降りてやってください」 その視線は悟空達ではなく、まっすぐに三蔵に向けられている。はっきり言って、めちゃめちゃ怖い……と悟浄は身をすくめてしまった。同時に、どうして自分がこんな眼になわなくてはならないのか、と本気で悩んでしまう。 「……元はと言えば、どこぞの誰かが道を間違えたのが原因か」 ふっと思い出したというように、三蔵が怒りの矛先を元に戻す。 「僕だけのせいではないはずですよ? 貴方にも確認しましたよね?」 それを真っ正面から受け止めただけではなく、八戒はしっかりと逆襲の言葉を口にした。 「……悟浄……」 周囲を包み込み始めた剣呑な雰囲気に、悟空が初めておびえたような表情を作る。 「何だ、猿……」 ごくりとつばを飲み込むと、悟浄が言葉を返す。 「……俺ら、ここにいねぇ方がいいんじゃねぇの?」 いつもならあれこれ文句を言うはずの言葉を気にすることなく、悟空がこう言ってきた。それだけ、目の前の光景が怖いと言うことであろうか。 「……賛成……見つからないように移動しようぜ……ついでに、道を探して来れば、怒られねぇんじゃねぇか?」 一人で逃げ出すと後々怖いが、悟空が一緒であればいくらでも言い逃れができる。これ幸いとばかりに悟浄は悟空に頷き返した。 「いい加減にしてください。一度、きっちりと話し合った方が良さそうですね」 凍り付くような口調で告げられた八戒のセリフが耳に届く。 「もちろんだ。テメェには言いたいことが山ほどあるんでな」 負けじと言い返された三蔵のセリフを合図に、二人は気配を消したまま素早くジープから降りる。そして、そのまま目の前に見える森へと脱兎のごとく駆けだした。 木の陰に辿り着いたところで、二人はほっと吐息を吐き出す。 「……あそこ、空き地でよかったかも……」 ぼそっと悟空が口にすれば、 「周囲に何もないからなぁ。火事もおこらねぇだろうしな」 と悟浄も呟く。はっきり言って、この二人の三蔵と八戒に対する認識は日々マイナス方向へと向かっているような気がする。だからといって嫌いになれないのだが。あるいは、敵になるより味方でいる方が身の安全を確保できるからくっついているだけなのかもしれない……と悟浄は心の中で付け加える。 「ところでさ。あの丘の上の木に登ったら遠くまで見えるかな」 雰囲気を変えるかとするかのように、悟空がこう問いかけてきた。そのセリフに、悟浄は彼が示した方向へと視線を向ける。確かに一際高い木がそこにはえていた。 「可能性はあるな」 街は見つからなくても、川か何かが見えるかもしれない。そうすれば、街にたどり着ける可能性は大きいだろう。 (それに、登るのは俺じゃねぇしな) ならば、かまわないか……と悟浄は心の中で呟く。 それでなくても、早くこの場から離れたいのだ。 「……なんか、ここも安全じゃねぇような気がするんだけど、俺……」 早速行動を開始しながら、悟空がこう言った。 「奇遇だな。俺もだ」 ポケットからたばこを取り出しながら悟浄が頷き返す。その指先が震えているのを悟浄は自覚している。平静なようでいて、実はかなりヤバイ精神状態らしいと悟浄は自己判断を下した。 それは間違いなくあの二人のせいだろう。 「……ったく……大人げないよな、二人とも」 半ば駆け足で丘の方へと向かいながら、悟空がぼやく。 「だよなぁ」 悟浄がこう答えた瞬間、先ほどまで二人がいた場所から鈍い音が響いてきた。何が起こったのか、興味はあったものの振り返って確かめる気力は今の二人にはない。精神的な安全のために早々に遠くまで行ってしまおうと、二人はさらに足を速めた。 「……マジ?」 街へ続く道らしいものを見つけて――人が通っていたので、確率は高いだろう――意気揚々と戻ってきた二人は、目の前の光景に呆然としてしまう。 その表情のまま、悟浄は悟空のまだ丸みを帯びた頬を指でつねる。 「いてっ!」 即座に悟空が大声を上げた。しかし、目の前の光景は消えることはない。 「何すんだよ!」 ぎゃんぎゃんと悟空が抗議の声を上げる。 「いや、この光景が夢かなぁって思ってさ」 それに悟浄がこう言い返す。 「だったら、自分のほっぺつねれよ!」 「いてぇだろうが!」 悟空のセリフに、悟浄は本気でこう言い返した。 「俺ならいいのかよ!」 まさかこう言われるとは思わなかったらしい。ごくうはさらに頬をふくらませてこう叫ぶ。 「少しぐらい腫れても、その頬ならわからんだろう」 さらりとした口調で悟浄が言い返す。 何と言い返してやろうかと、悟空が本気で考えている様子が悟浄にも伝わってきていた。 もっとも、二人にしても本気で言い争いをしているわけではない。 目の前の光景から逃避するため……というのがその主な目的である。 はっきり言って、それだけすごいのだ。 少なくとも、二人が逃げ出す前は空き地は半径10メートルほどだったはず。しかし、今はそれが三倍以上に広がっているのだ。そして、その中心にいるのは、三蔵と八戒である。平然としているのが逆に怖いくらいだ。 「ったく……どこ行ってたんだ、テメェラは」 二人の存在に気づいた三蔵が、いつもの不機嫌な口調で問いかけてくる。 「そろそろ出かけないと、本気で餓死しちゃうかもしれませんねぇ」 やはり、いつもの口調で八戒が言葉を口にした。その口調には先ほどまでの剣呑な空気はまったく感じられない。三蔵にしても、普段の不機嫌さまでグレーとダウンしているのだ。 「……いったい、何があったんだ……」 「俺に聞くんじゃねぇ……」 実際知りたくもないと本気で考えてしまう二人だった。 ちゃんちゃん |