エープリル・フール

「ただいま。腹減ったァ」
 お決まりのセリフを口にしながら、悟空は荷物をテーブルの上に置く。中身は食料だ。そのほとんどが自分の腹の中に入ると判っているから、悟空は買い出しに行かされる事について文句を言う事はなかった。
「お帰りなさい。ご苦労さまでしたね。向こうの部屋におやつがありますからどうぞ」
 すかさず顔を出した保父さんこと八戒がそう言う。
「ところで悟浄は?」
「知らない。俺に荷物を押しつけてどっかに行った」
 悟空の返事に八戒は顔をしかめる。一見するとにこやかな表情なのだが、背中にベタフラを背負っている八戒に、悟空は思わず逃げ腰になってしまう。
「は、八戒?」
 恐る恐ると言った様子で声を掛ける。
「何です?」
 悟空の方を振り向いた時には、八戒の怒りは霧散していた。それでも一度感じてしまった恐怖をそうそう消せるわけではない。
「三蔵は?」
 かといって八戒の怒りが自分に向けられているわけではないと判っているので、あからさまに逃げ出すのは何か申し訳ない。となれば、一番無難な言い訳はと悟空なりに考えた挙句出たセリフがこれだった。
「向こうにいますよ。僕はこれを片づけちゃいますので、悟空は早くおやつを食べて来て下さい」
「うん、そうする」
 八戒自身の許可ももらえたし……と悟空はとっととその場を後にした。そして彼らが借りているもう一つの部屋へをかけ出す。その悟空のポケットで何かがかさかさと小さな音をたてた。足をとめるとようやくその存在を思い出したというように、悟空はポケットの中に手を突っ込んでそれを握り込む。そしてそのまま、部屋の中に駆け込んだ。
「三蔵」
 いつものように呼びかける。すると、面倒くさそうな仕種ではあるが、新聞から目を離して視線を向けてくれた。それだけでも嬉しく思ってしまうのは、やはり自分の中で彼の存在が大きな位置を占めているせいかもしれない。と言う事を言葉にはできなくても感覚で知っているのが悟空だろう。
「ただいま!」
 すぐそばまで駆け寄って、そう口にする。
「うるさいぞ、猿」
 そう言いながらも、三蔵は新聞を片づけ出す。どうやら、自分のおやつに付き合ってくれる気らしいと悟空は勝手に判断をした。少なくとも機嫌が悪いわけではないらしい。
「あっ、これ」
 ここぞとばかりに、ポケットの中の物を取り出すと三蔵の前に置いた。綺麗なパッケージ包まれたそれを見せたら、きっと三蔵が喜んで遊んでくれるぞと言われて手渡されたのだ。此処しばらくゆっくりできなくて、お小言しか言われていない悟空にしてみれば、『三蔵に遊んでもらえる』事は何よりも楽しみだったりする。だが、予想に反して三蔵の眉間に皺が寄る。止めとばかりに
「……どうしたんだ、これ」
 低い声でこう問いかけて来た。さっきまでの機嫌のよさはどこに行ったのやら。はっきり言って、さっきの八戒に負けず劣らずのベタフラが三蔵の上に渦巻いている。
「どうしたって、これ見せたら遊んでもらえるぞって……」
 いったいどこで失敗したのだろうと思いつつ、これ以上三蔵の機嫌をそこねないように素直に説明を始めた。
「誰にだ?」
 その口調から自分から好き好んでこの様なものを入手したわけではないと三蔵は判断したらしい。
「……悟浄……」
 しばらくためらった後に、悟空はそう口にした。そして、さりげない仕種で三蔵の手の届かない所まで移動する。もっとも、そんな行動で本気で怒り狂った三蔵から逃れるわけがないと判っていての行為である。なんせ、三蔵の手には飛び道具があるのだから……
「……あの野郎……」
 しかし、三蔵の怒りは悟空に向けられたわけではないらしい。忌ま忌ましそうにそう言うと、ガタンと立ち上がった。そしてそのまま部屋から出て行こうとする。
 彼の手がドアのノブに掛かった時だった。三蔵がノブを回すよりも早くドアが引き開けられる。
「あれ? どうしたんですか」
 何の心構えもない所で三蔵のドアップを見たというのに、平然と八戒はそう口にする。
「エロ河童を殺しに行ってくる」
「はぁ?」
「あの野郎、猿に馬鹿な事を吹き込みやがったんだ」
 それだけで十分だろうという口調で三蔵は八戒を押し退けようとした。しかし、まだ納得できないらしい八戒が逆に三蔵を部屋の中に押し込んでしまう。
「もっと詳しく説明してくれないと、話が見えないんですけど」
 その上、かなり強引に三蔵を元の席に座らせてしまった。体格でも体力でも勝っている相手にこうされては、三蔵にしても逆らえないらしい。ついでに、八戒も実は機嫌が悪いという事に気づいてしまった。ここでこれ以上彼の機嫌をそこねて野宿の最中の食事が貧しくなるのは、悟空でなくても避けたいものらしい。
 実際、悟空は口を開く事も逃げ出す事もできずに固まっている。
 そんな悟空を気にする様子もなく、二人は会話を進めていった。
「あのバ河童が、猿にあれを持たせて、見せたら遊んでもらえると吹き込んだんだよ」
 そう言って、嫌そうにテーブルの上のパッケージを指さす。
「あららら……コンドームですか……これを使ってどんな風に遊んでもらえと言ったのやら」
 それを指先でつまみ上げると、八戒はため息をもらす。
「それ以前の問題だろうが」
「ですね……でもどこに居るか判らないんですし、帰って来てからでもいいのではないですか?」
「確かにな」
 仕方がねぇと呟くと、三蔵はたばこを取り出して加える。それで話が終わったと思ったのだろう。指でつまみ上げたそれをごみ箱に捨てるべく八戒は移動をした。その途中で
「悟空の事は怒っていませんからね。そんなに怖がらなくてもいいんですよ」
 と声を掛ける。だからといって直ぐに動けない悟空だったが。

「……お前、あれ信じちゃったわけ?」
 帰って来た瞬間、三蔵には鉛玉をお見舞いされ、八戒にはイヤミまじりのお小言を聞かされた悟浄が悟空に向かってそう言った。
「信じちゃいけなかったのかよ」
 三蔵は起こるし、八戒は怖かったしと遊んでもらえるどころか身が縮まるような想いをした悟空が唇をとがらせて言い返す。
「今日、何月何日だ?」
 それには答えずに、悟浄は逆にこう聞き返して来た。
「四月一日だよ!」
 ムッとした表情のまま、悟空は怒鳴るように今日の日付を口にする。
「だから、騙される方が馬鹿なんだよ、今日は。エープリル・フールじゃねぇか」
「そんなの、しらねぇもん」
 聞いた事もない単語を口に出されて、開き直ったように悟空は言い返す。
「嘘をついてもいい日なんだよ」
 そういった瞬間、悟浄の頭に三蔵のハリセンがヒットした。
「これ以上、猿に余計な知識をつけるんじゃねぇ!」
「そうですよ、悟浄」
 額に青筋を浮かべている三蔵も怖いが、にこにこと微笑む八戒も怖い。思わずたばこに救いを求めてしまう悟浄だった。

 蛇足だが、この晩悟浄はもちろん悟空まで夢でうなされる結果になってしまったらしい。翌日、ジープの後部座席で爆睡している二人の姿がバックミラーに写っていた。
「毎日こうだと静かでいいんだがな」
「そうですねぇ」
 その原因の二人はのんびりと会話を交わす。
 天竺への道のりはまだ遠かった。

ちゃんちゃん