「ババァ……頼みがある……」
 苦虫を噛み潰したような表情のまま入口に佇んでいる相手に、菩薩は面白そうな視線を向ける。
「何だ? 内容次第では、聞いてやらなくもないぞ」
 第一、こいつがこうやって自分を頼ってくることは滅多にない、と言っていいのだ。その内容がなんなのか興味がないわけがないだろう。
 もっとも、自分のことを何とかしろ、というのであれば聞く耳を持つつもりはない。
 金蝉だけが悪いとは思えないが、ある意味自業自得のことだ。これもまた良い経験だろうと菩薩は考えていた。
「……ババァが預けていった悟空のことだ……」
 だが、金蝉が気にしていたのな自分のことではなく、あの子供のことらしい。
「あのチビか。あれがどうかしたのか?」
 ならば自分にも責任はあるだろう。
 というよりも、押しつけたのは自分だ。金蝉がいなくなるのであれば何とかしなければならないのも自分に決まっている。その程度の自覚は菩薩にもあった。
「……静かな環境で……絶対にあいつに怒鳴り声をあげない相手に預けて欲しい……」
 体の傷は何とかなったのだ。
 だが、心の傷を考えればそれしかないだろう……と金蝉は眉間の皺を深める。
「退院は……したのか?」
「今は……家にいる」
 だが、自分がいなくなれば面倒を見る人間がいなくなる……と金蝉は付け加えた。
「ようやく、俺の気配では怖がらなくなったんだがな……」
 それでも、まだチャイムの音はだめだし、自分が側にいなければ知らない相手とは顔をあわせたがらないのだ……と彼は付け加える。
「そこまで、よくもまぁ面倒を見たもんだ……お前が」
 別の意味で感心をしてしまう。
 悟空ほどではなかったが、目の前の相手も重度の《人嫌い》だったはずだ。だから、内科医や精神科医になれなかったはずの男が子供を引き取って面倒を見ているとは青天の霹靂とでも言いたくなる。
 あるいは、お互いにそういう人間だからこそよかったのかもしれないが……
「ババァ!」
「あぁ、怒鳴るな。ちゃんと考えている」
 金蝉の出した条件を全部叶えると考えればかなり厄介だろう。
 だが、幸か不幸か、心当たりがあったりするのだ。
 問題があるとすれば、そこに今引き取られている相手だけだろう。
「あいつに……頼んでみるか……」
「あいつ?」
「光明だよ、光明。あれなら、心配はいらないと思うが……問題はあそこのガキ共だな」
 そう考えていただけだ、と菩薩は付け加える。
「……確かに、あの人なら心配はいらないと思うが……」
 そういう問題があったか……と金蝉は考え込む。
「悟空の生活費ぐらいなら、何とか捻出できる、と思うが……」
 さすがに男の子三人いる家庭にさらに一人お願いするとなると……と金蝉は的を外したセリフを口にする。
「それは心配いらねぇって。ちゃんと、たんまり巻き上げ終わったからな。あいつが大学を卒業するまでは十分に生活させられる。その点でも、あそこなら安全だしな」
 浪費をするような人間じゃない、と菩薩は笑う。
「そうだな……少し時間をくれ。俺達だけで決めるわけにはいかないしな」
 光明達の都合を聞く必要もあるだろう、と付け加えれば、金蝉も頷いてみせる。
「……頼む……」
 この言葉を金蝉から聞く日が来るとは思わなかった。
「任せておけ」
 これもまた、あの子供の影響なのだろうか。そう考えながら、菩薩はしっかりと言いきった。