「……菩薩?」
 いきなり目の前に現れた相手に、悟空は目を丸くする。
「知り合い?」
 隣を歩いていた那托と紅孩児が信じられないモノを見たというような表情を作っていた。それも無理はないと思う。
「父さんの親戚で……俺を父さんの所に行けるようにしてくれた人」
 そんな彼らに、悟空はとりあえず説明をする。
「でも、どうしてここにいるのかは知らねぇ」
 と悟空は言葉を重ねた。
「何。ちょっと付き合って貰おうかと思っただけだ。なんならそいつらも一緒でいいぞ」
 飯ぐらいなら好きなだけ喰わせてやる、と菩薩は笑う。
「……どうする?」
 いやならパスしていいぞ、と言いながら、悟空は友人達の顔へと視線を向けた。言葉通りに受け止めると後で地獄を見るとも。
「俺はパス、だな」
 それに安堵したのか。予定がある、と口にしたのは紅孩児だ。
「……わりぃ。俺も駄目だ」
 母さんの顔を見に行く約束をしていたのだ、と那托も続ける。
「ってわけだから……俺もパス。家にいって、父さんたちがいいって言ってくれたら考えるけど」
 寄り道はするなって三蔵に言われているから……と悟空は結論をつけるように口にして、菩薩の前を通り過ぎようとした。
「待てよ、おい」
 そんな悟空の襟首を、菩薩は手を伸ばして捕まえる。
「ずいぶんとまたつれねぇじゃないか」
 軽々、と言った様子で悟空の体を引き寄せると、菩薩が唇をゆがめた。
「悟空!」
 それに那托達は驚いたような表情を作る。そして、下手をすればそのまま菩薩に殴りかかろうとするかの様子を見せている。
「大丈夫だからさ。帰るついでに、三蔵あたりに連絡をしてくれるとありがたいかも」
 最悪の場合でも、そうしておけば確実に助けに来てくれるだろう。悟空はそう判断をして言葉を口にする。
 ここまでされてしまっては、逃げられないと判断したのだ。そして、それは間違っていない。
「菩薩に拉致された、って……」
 でないと、俺、今日帰れないかも……と悟空は付け加える。
「お、おい!」
 だが、それに那托達が答えを返してくれる前に、悟空はその場から引きずられるようにして移動を開始させられてしまった。
「悟空!」
「頼むな!」
 この一言を残した、と思った次の瞬間、悟空は車の中に押し込まれてしまう。
「……さて、と……目的地に着く前に、じーっくりと話を聞かせて貰った方がいいか?」
 そのまま運転席に体を滑り込ませてきた菩薩の微笑みが怖い……と悟空は体を震わせた。
「ベルトしろ」
 悟空に向かってこう言うと同時に、菩薩は車のエンジンをかける。
「……あのさ……」
 降りちゃ駄目か、と無駄とは知りつつ、悟空は菩薩に声をかけた。寄り道は禁止されているから、と。
「ほぉ……高校生なのにか?」
「……だって……どこからあいつが出てくるか、わかんねぇんだもん……」
 だから、できるだけ一人で動くんじゃない、と言われているのだ、と悟空は付け加える。
「アレ、か」
 悟空が言いたいのが誰か、彼女にもわかったのだろう。口元に微かに苦いものを滲ませた。悟空が頷けば、それは明確なものになっていく。
「本当にあいつも、困ったものだな……」
 それ以上に困った存在は過保護な連中かもしれない……と菩薩は内心で付け加える。それを口にしないのは、悟空がそれを認めてなおかつ受け入れているからだろう。
「だが、俺さまが一緒であれば寄ってこないぞ、アレは」
 その代わりというように『だから心配するんじゃない』と菩薩は豪快な笑い声を響かせた。
「……だけど……」
 そんな彼女に、悟空は何か含むような仕草を見せる。
「だけど、何だ? まだあるのか?」
 だったら、さっさと白状をしろ、と付け加えながら、菩薩はアクセルを踏んだ。
「でも……」
「怒らねぇから、さっさと言え!」
 菩薩の言葉に、悟空は『嘘だ』と思う。思うが、言わなくても結果は同じだ。いや、むしろ悪くなるかもしれない。
「三蔵と金蝉が……」
「あの馬鹿共が?」
「菩薩と一緒に動くなって……とばっちりが来るから……」
 だから、その姿を見たら逃げろと言われていたのだ、と悟空は白状をする。
「ほぉ……んな事言ったのか、あいつらは」
 それはそれは……と言いながら、さらにアクセルを踏む菩薩に、悟空は恐怖を感じてしまった。同時に、言わない方がよかったのか、とも。
「って事は、お前の態度には罪はないってことだよな。あいつらの言いつけに逆らえないんだし……」
 と言うわけで、お仕置きは勘弁してやるよ、と言われてもはっきり言って喜べない。一般道路だというのに、既に高速でもスピード違反だとしか思えないそれで菩薩の運転する車は疾走しているのだ。
「……だが、あいつらに対するだしにはなって貰うぞ」
 金蝉は今日非番だし、三蔵はどうせ、家にいるんだろう? と言いながら、くつくつと笑う菩薩から少しでも離れたい。その一心で、悟空はドアへと体をすり寄せていく。同時に、先に友人達を返してよかったと本気で思っていた。

 菩薩の目的は、間違いなく買い物だったらしい。もっとも、その量は甚大だったが。
「……まだ買うのかよ……」
 さすがにもう持てないぞ、と悟空は主張をする。
「ふむ……さすがに買いすぎたか……一度、トランクにつっこんきたほうが良さそうだな」
 そうすれば、まだ買える、と菩薩が笑う。この言葉を耳にした瞬間、悟空が思いきり嫌そうな表情を作ったのは言うまでもないだろう。
「それにさ……そろそろ、俺、戻らねぇと……」
 いい加減、八戒に怒られる……と悟空は付け加える。彼を怒らせれば、明日からの弁当その他に支障が出てくるとも。
「何言っている。俺が一緒にいるんだ。あいつだって文句は言えねぇよ」
 だから怖いのだ、と言うセリフを悟空は必死に押し殺す。彼女に掴まった『自分』についてあれこれ言われるだろう、とも。
 だが、それを菩薩に言っても無駄だ、と言うことも重々わかっている。
「……早く迎えに来てくんねぇかなぁ……」
 三蔵でも金蝉でもいいから……と悟空は口の中だけで呟いた。そうしてくれれば、ある意味、この地獄と言える状況から抜け出せるのはないかとも思う。
「何か言ったか?」
 呟きの内容までは彼女の耳に届かなかったらしい。その事実に悟空はほっとしながらも、
「女の人の買い物って、なんでこんなに時間がかかって、いっぺんにこんなに買うんだろうなって思っただけ」
 それも似た様な物ばかり……と言う言葉は敢えて口にしない。
「そりゃ、決まっているだろうが。全部俺様に似合うからだ!」
 きっぱりと言い切る菩薩はさすがだ、としかしいようがないだろう。というか、この性格だから菩薩だと言った方がいいのか。
 そのどちらとも判断が付きかねて、悟空は小さくため息をつく。
「あぁ、そうだな。荷物を置いたら、軽くなんか喰わせてやるよ」
 それでがマンしろ、と付け加える彼女は、間違いなく食べ物を目の前にちらつかせれば悟空が言うことを聞く、と認識しているのだろう。それに関しては完全に否定できない自分がいることを悟空も自覚はしていたが。
「……何か喰わしてもらえる、って言うよりも……俺は家に帰りてぇ……」
 宿題だってあるんだし……と言うセリフは菩薩に無視をされてしまったらしい。
「ほら。さっさと動け、若者!」
 菩薩が言葉と共に悟空の背中を思い切り叩く。
「いってぇ!」
 それに悟空は思わず抗議の声を上げた。だが、その時にはもう彼女は数メートル先を歩いている。
「ったく……」
 このまま置いていかれても仕方がない。
 そう判断すると、悟空は改めて荷物を抱え上げようとした。
 その時だ。
 脇から伸びてきた手が、悟空の目の前から紙袋を奪い去る。慌てて視線を向ければ、ほっとできる紫闇の瞳が自分を見下ろしていることに気づいた。
「……三蔵……」
 思わずこう呼びかければ、頭の上に拳が落ちてくる。
「何すんだよ!」
 どうして殴られなければいけないのか、悟空にはわからない。思わず言い返してしまった。
「この馬鹿! あいつには気をつけろって言っただろうが!」
 いいように使われやがって……と三蔵が悟空を睨み付ける。
「だって……」
 急に襲われたのだとか、無理矢理車に乗せられたのだとか、那托達に迷惑をかけるわけに行かなかったのだ、とか悟空にも言いたいことはたくさんある。だが、それらが全て頭の中で渦巻いているだけで声にならない。
「……まぁ、テメェにババァの相手をするのは無理だ、ってこともわかっているがな」
 って言うか、ババァの方が一枚も二枚も上だしな、と三蔵は言う。そして、視線だけで立ち上がれ、と指示をしてきた。それに悟空は大人しく従う。
「あれは女じゃねぇ。ただの妖怪だからな」
 光明か八戒でなければ相手をするのは無理だ、と本人達が耳にすれば怒りそうなセリフを三蔵は口にする。
「三蔵、それって言い過ぎ……」
「じゃねぇよ……もっとも、二人には内緒にしておけ」
 光明はともかく、八戒はまずい……と三蔵は笑う。
「了解」
 後々を考えると、それが無難だと悟空も考えた。はっきり言って、彼らの怒りに巻き込まれたくないのだ。
「それと、荷物を渡したら、速攻で逃げるからな」
 三蔵のこの提案に関して、悟空はいやという権利が自分にはないと理解している。少しだけだが、菩薩が食べさせてくれるといった料理に未練がないわけにはなかった。
(おいしい料理なら八戒が作ってくれるよな)
 だが、こう思うことでそれを振り切る。
「……できるかな?」
 そうなると、問題はこちらだけだろう。
 なんせ、相手は菩薩だ。
 三蔵ですら軽くあしらわれてしまう可能性は否定できない。
「するんだよ! でなきゃ、いつまで経っても帰れねぇぞ」
 八戒にイヤミを言われたいのか、と言われて、悟空は大きく頷いた。ある意味、教師を怒らせるよりもこちらの方が怖いのだ。
「そう言うことだ」
 ババァにイヤミを言われる前に行くぞ……といいながら三蔵が歩き出す。
 その後ろを、悟空が慌てて追いかけていった。

 彼らが無事に菩薩から逃げられたのか。
 それに関しては言及するのを避けた方が身のためだろう。

「……ずいぶんとまたごゆっくりでしたね、三蔵? 悟空は早くお風呂に入ってきなさい。疲れたという表情をしていますよ。ご飯の後で宿題は手伝ってあげますから」
 相手が菩薩では仕方がありませんよね、と言う八戒の頬が引きつっている。その事実に、悟空は思わず三蔵にすがりついてしまった。
「あぁ、悟空に関しては怒っていませんよ。あの状況では仕方がないでしょう? 那托君もそう言っていましたし」
 だから安心してください……と言う言葉を、悟空は素直に受け止められない。
「……でも、八戒……」
「悟空?」
 悟空の言葉を八戒が征する。
「いいから、八戒の言うとおりにしろ」
 三蔵にまでこう言われれば、悟空としても従うしかない。小さく頷くと、渋々といった様子で彼は靴を脱ぐ。そしてそのまま八戒の脇を抜けて、まずは自分の部屋へと向かった。
 背後から、八戒と三蔵の声が追いかけてくる。
「三蔵、ごめん……」
 それに小さくため息をつくしかできないと言うのは事実だった。


ちゃんちゃん