「……テメェは……いい加減にしやがれ!」 三蔵の怒鳴り声が、いつものように周囲に響き渡る。 「そうですよ、悟浄!」 八戒もまた眼鏡の下の瞳をきつく眇めながら、悟浄を睨み付けていた。 「よりにもよって、また悟空にろくでもないことを教えて!」 何度やめろ、と言われました? といいながら八戒が悟浄へと詰め寄っていく。逃げだそうにも、その退路は既に三蔵によってふさがれている。 「……ろくでもねぇ事って……全部、本当のことじゃねぇか……」 でもって、知っておいた方がいい知識だろう……と頬を引きつらせながら悟浄はいいわけを始めた。無駄だとは知っていても、少しは努力をしないと大変なことになるとわかっているのだ。 「悟空が知りたがったんだし……正しい知識は必要だろうが……何事にもさ……」 でないと、困ることが多いだろう……と口にする悟浄の頬を冷や汗が伝い落ちていく。 「本当のことだろうと嘘だろうと、テメェの知識なんざ悟空に必要ねぇんだよ!」 おかげで、興味だけが肥大していって困ったことになっているんだ、と三蔵は怒鳴る。同時に手が出たのは、それだけ彼が怒っているという証拠であろうか。 「……ともかく、もう二度と悟空に変なことを教えようって気が起こらないようにしておかねぇとな」 「賛成です。一度、骨身にしみて貰わないと、学習して貰えないようですからね」 三蔵の言葉に、八戒も大きく頷くと微笑む。 「……ちょっと待て……話せばわかる……なぁ……」 はっきり言って、このままでは何をされるかわかったものではない。 悟浄は何とかこの場から逃げ出そうと悪あがきを始める。 「何度、同じセリフを口にしたっけなぁ……」 拳をならしながら、三蔵は隣にいる八戒に問いかけた。 「今回で二桁目ですね」 手首を回しつつ、八戒が答えを返す。 「いい加減、堪忍袋の緒が切れてもおかしくないですよね?」 にっこりと微笑む彼の背中には、黒く渦巻くブラックホールが口を開けているように悟浄には思えた。 「……やめてくれぇ!」 彼の悲鳴が周囲にこだました。 「……何、してんだろう……」 少し離れた光明のの部屋で、一緒にお茶を飲んでいた悟空が、ぼそっと呟く。 「楽しそうだよな、三蔵達」 俺も混ざりたい……と悟空は無邪気な口調で言う。 「そうですねぇ……私も混ぜて貰いましょうか」 そんな悟空に光明も同意を見せる。 「と言いたいところですが、その前に貴方は宿題を終わらせてしまいませんとね」 にっこりと微笑みながら、光明は悟空の脇に置かれていた教科書とノートを指さす。 「今ので休憩は十分でしょう?」 こう言われて、悟空は思わずお茶にむせてしまう。 「おやおや……大丈夫ですか?」 あくまでものほほんとした口調で光明は悟空に声をかけた。もちろん、のほほんとしているのは口調だけ。本当は別の意味で焦っていたのだ。 (……ともかく、悟空の意識をあちらから離さないといけないですしねぇ……参加したいというのは間違いなく本音なのですが) だが、自分まで行けば間違いなく悟空も付いてくるだろう。 そうなった場合、悟浄はともかく他の二人――あるいは自分も含まれるかもしれない――に関する悟空の認識が変わってしまうのではないだろうか。 (それはまずいですしねぇ) やはり、悟空にはいいイメージだけを持っていて欲しい……と光明は思う。烏哭やその関係者達に向けられるようなあの反応だけはごめんだと。 「三蔵も八戒も、あなたが宿題を放り出してまできたなら怒ると思いますよ。それよりも、宿題を終わらせて、その後で堂々と混ぜて貰えばいいのではないですか?」 それまでにはあちらは終わっているだろう。その後で、何か悟空の気をそらすようなことを考えればいいだけのことだ、と光明は思い直す。 「……でも、俺、英語苦手だし……」 いつ終わるか自信がない、と悟空は唇をとがらせた。 「いっつもなら、三蔵か八戒が教えてくれるけどさ……今日は……」 「大丈夫ですよ、悟空。高校生の英語くらいでしたら、私でも十分教えてあげられますから。あの二人はともかくとして、悟浄が卒業してついでに入試で合格できるようになるまで教えてあげたのは私ですからね」 だから、安心してください……と光明は微笑む。 「そうなんだ」 悟空は嬉しそうに笑う。 「と言うわけで、さぁ、開いてください。早々に終わらせて、彼らに混ぜてもらいに行きましょう」 この言葉に、悟空は大きく頷く。そしていそいそとノートをテーブルの上にのせた。 「これなんだけど……一応、わかるトコだけ訳して見たんだけどさ……日本語にならないんだよな」 それがわからないと問題が理解できないし……と悟空は口にする。 「ちょっと待ってくださいね」 光明は微笑みながら眼鏡をかける。そして、悟空のノートを覗き込んだ。 「あぁ……これは元々の意味が違っているのですよ。辞書を引いてご覧なさい。同じ単語でも微妙に意味が異なっていたり、慣用句で使い方が違っているものがありますから」 そう言いながら、光明は悟空が理解できていないと思われる単語について一つ一つ説明を始める。それを悟空は神妙な表情で聞いていた。 「……や、やめろってば!」 二人がかりでバスルームに引きずり込まれた悟浄は、そのまま下半身から布を全て取り去られてしまう。 「……見たくねぇな、やっぱ……」 「否定しませんが……これが一番お仕置きになるかと思うんですけど」 少なくとも、当分の間、女性とイイコトできませんしねぇ……と笑う八戒が怖い。それは悟浄だけではなく三蔵ですらそう思ってしまうほどだ。 「……悟空にゃ、みせられねぇな……」 間違いなく別の意味でトラウマになるぞ、これは……と三蔵は心の中で付け加える。そうすれば一番ショックを受けるのは間違いなく八戒本人だろう。その彼を慰められる者がどれだけいるか……となるとまた厄介な問題に決まっている。 「もちろん、ばれないようにしますって」 お義父さんだって、これくらいは予想しているでしょうし、と微笑みながら、八戒は手にしていたカミソリを悟浄の前に差し出す。 「ねぇ、悟浄? それとも、こっち切って欲しいですか」 何なら、ご自慢の髪にしましょうか……と言われて、悟浄は本気で悩む表情を作った。 「何、悩んでんだか」 その表情を見て、三蔵があきれたように呟く。 「下がいやなら上しかないだろうが」 その言葉に、悟浄はますます複雑な表情を作る。 「そう言うがな……下が脱がないと見えないが、上はいつでも見るだろう。バイトにも差し障りが……かといって、下もなぁ……」 どっちもいやだ……と悟浄はごねる。 「じゃ、やっぱり切っちゃいましょうか」 さらりとこう言えるのが八戒の怖いところだろう。しかも彼の場合本気なのか冗談なのか、まったくわからないのだ。 「……八戒さん……」 お願いやめて、と悟浄は本気で泣き出しそうだ。しかし、体格が四人の中で一番いいせいか――それとも元々の性格が可愛くないと思っているせいか――どう見ても不気味だ、と三蔵は思ってしまう。それは八戒も同じだったらしい。 「悟空がやるんでしたら考慮しますけどね」 貴方では怒りをあおってくれるだけです、と付け加えると、八戒は早々に行動を開始する。 「三蔵、申し訳ありませんが、悟浄の体を拘束していてくれますか? さすがに入院沙汰になってはお義父さんに怒られますから」 だから、安心してくれていいですよ、と言われて安心できるものではないだろう。むしろ逆に恐怖をあおっているのではないだろうか、と三蔵は思う。だが、それ以上にそろそろ別の問題を心配しなければならないのではないだろうか、とも思い始めていた。 「八戒……いくら父さんでも、いつまでも悟空を引き留めておくのは不可能だぞ」 こんな所、悟空に見せたくないだろうと付け加えれば、八戒も頷く。 「そうですね。嫌なことはさっさと終わらせてしまいましょう」 にっこりと微笑むと八戒はカミソリを持つ手とは反対側にシェービングジェルを掴む。 「と言うわけで、覚悟してくださいね」 こう宣言をする八戒に、悟浄は振り切れそうなくらい首を横に振っている。だが、悟浄にしてもその程度で八戒が許すわけないと思っているわけがないだろう。 「問答無用です」 言葉と共に八戒が行動を開始する。 「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」 悟浄の叫びが周囲に響き渡った。 「……あれ?」 それはもちろん、悟空達の耳にも届いている。 「どうやら、また何かをしでかしたようですね、あの子は」 白々しいため息をつきながら、光明はこう口にした。 「それを八戒に見つかったのでしょう」 だがそれはあり得そうで、悟空は納得してしまう。 「悟浄も、おとなしくしていればいいのにな」 って言うか、いい加減八戒を怒らせるようなことをやめればいいのに……と悟空は呟く。 「それができるような子であれば、とっくの昔に身につけていますって」 目の前のことしか考えられないから、いつも失敗をするのですよ……と言う言葉を何度光明は悟浄へ言い聞かせてきたことだろう。 言い聞かせて直ぐはいいのだ。だが、しばらく経つとそれがすこーんと彼の頭の中から抜け落ちてしまう。あるいは、そうしなければここに引き取られるまで生きてこられなかったのかもしれないと、光明は考えている。それは悟空のトラウマと似たようなものなのかもしれない。 「ここまで来れば、後は犯罪に走らないようにするしかないですね」 それを身につけさせるためなら、多少の八戒達の逸脱した行動に目をつぶるしかないでしょう、と苦笑を浮かべながら光明が告げる。 「それって……この前学校に公演にきた猿回しの人のセリフに似ている」 ぼそっと悟空がこんな感想を口にした。 「あぁ、それは近いかもしれませんよ。あの子は……言っては何ですけど、ある意味『ケダモノ』ですからね」 さらりととんでもないことを光明は告げる。 「へっ?」 「三蔵や八戒は、自分の欲望を意思の力で制御できますよね? もちろん、悟空もそうでしょう。どんなにおなかが減っていても、他人さまのものを取り上げたり、地面に落ちているものやお供えを食べたりしませんでしょう?」 「当たり前じゃないか。そんなことするのは泥棒だし、第一、みっともないだろう?」 悟空が心外だというように言葉を口にした。 「悟空はいい子ですね。もちろん、それが普通なんです。でも、悟浄の場合は女性関係の一点に関しては落ちていようと人様のものだろうと関係ないと考えてしまうんですね。だから『ケダモノ』だと言うわけです」 それで八戒と三蔵達がキレてしまったというわけですね、と光明は説明をする。 「……悟浄って……馬鹿?」 「頭の中身ではなく考え方で言えばそうなりますね」 本人が聞けば絶対否定をするような会話を二人は交わした。もちろん、本人達は本気である。 「ですから、悟空は絶対にマネをしないでくださいね」 光明のこの言葉に、悟空は大きく頷いて見せた。 「もちろんだよ。三蔵にだけは絶対嫌われたくねぇもん」 きっぱりと言い切った悟空に、光明は苦笑を浮かべる。 「おやおや……私達になら嫌われてもいいのですか?」 そしてこう聞き返す。 「う゛〜そうじゃなくて……」 「はいはい、わかっていますよ。ちょっと意地悪してしまいましたね」 泣きそうになっている悟空の頭に手を伸ばすと、光明は優しく撫で始めた。 「……今日、お義父さん、意地悪だ」 悟空が頬をふくらませるとこう口にする。 「でないと、悟空に忘れられてしまいますからね」 その言葉に悟空はどう言い返せばいいのかわからないという表情を作った。 「……俺……」 だが、何かを言わなければと思ったのだろう。口を開くが直ぐに閉じられる。 「悟空が悪いわけでないのはわかっているのですけどね」 たまには八つ当たりをさせてください、といいながら、光明はさらに悟空に頭を撫でてやった。 「悟浄に八つ当たりをしてきてください」 光明の言葉に送られて、悟空は三人を探し始める。だが、その必要がないくらいあっさりと彼らの姿は見つかった。 「何しているんだ?」 呆然とした表情でキッチンのいすに座っている悟浄に向かって、悟空が声をかける。 「何でもねぇよ!」 そんな悟空に、悟浄が噛みつくような声を返してきた。だけではなく、手を振り上げる。 「何してるんだよ!」 だが、それが振り下ろされるよりも早く、三蔵の鉄拳が悟浄の頭の上に飛んできた。 「どうやら、まだお仕置きが足りなかったようですね」 お昼の準備をしていたのだろうか。お玉を握りしめたまま、八戒もまた悟浄を睨み付けていた。 「……お、俺が悪うございましたぁ!」 その恐がり方はいつもの悟浄からは考えられないものだと言っていい。 「……何があったんだ?」 悟空は興味津々と言った様子でこう呟く。だが、それに答えを返してくれる者は誰もいなかった…… ちゃんちゃん
|