「悟空」
 珍しくも、二人きりで過ごす夕食。
 それを食べ終えた瞬間、悟浄がふっと声をかけてきた。
「何だよ」
 警戒心ばりばりという表情で、悟空は彼をにらみ返す。いくら何でも、ここに引き取られてからの5年近くと言うもの、おもちゃにされ続ければこの反応も当然と言うものだろう。
「その態度……お兄ちゃん、傷ついちゃうな。最初はあんなに可愛かったのに……」
 そう言いながら、悟浄はわざとらしいため息をついてみせる。
「……それ、にあわねぇぞ」
 実は酔っているのか、と悟空は付け加えてしまった。すると、悟浄はばれたかというように苦笑を浮かべた。
「本当、変なとこばかりあいつらに似てきたよ、お前は」
 告げられた言葉に、悟空は小首をかしげる。
「似てきたって……三蔵と八戒に? 別段変じゃねぇじゃん」
 それを言うなら悟浄の方だろうと付け加える言葉はあくまでも本気だった。
「……わかんねぇならしかたがねぇな」
 そんな悟空に、悟浄は思わず口調を深めつつ言葉をつづる。
「だから、何がいいてぇんだよ」
 口の悪さも、すっかりと三蔵に似てきて……と思うが、自分も彼のことをどうこう言えないのだからしかたがないと悟浄は納得をした。
「お前、女と付き合ったことがあるわけ?」
 そして、一番聞きたかったセリフを口にする。
「……へっ?」
 その瞬間、まるではとが豆鉄砲を食らったような表情を悟空は作った。意味がわからないと言うように何度も『女と付き合う』と口の中で繰り返している。
「……一緒に遊びに行く奴ならいねぇわけじゃねぇけど……ついこないだまで、俺、受験生だったからさ」
 ようやく意味が飲み込めたのか、悟空はこんなセリフを口にした。
「そういや、そうだったっけ」
「そうだよ! 入学式が明後日じゃん」
 まさか忘れていたのか、と悟空は脱力してしまう。
「わり、わり……バイトで忙しかったんだよ」
 後でゲーム買ってやるからさ、と悟浄は慌てて口にした。どうやら入学祝いを買ってやっていないことに気がついたらしい。悟空を溺愛している他の三人がそれなりにお祝いを買ってやったことは目に見えていた。それに乗り遅れるのも癪だ、という思いが自分の中にあったことを悟浄は否定できない。
「別に……いらねぇよ」
 テーブルの上に懐いたまま、悟空がぼそっと口にする。その様子から、完全に自分の言葉を信用していないと言うことが伝わってきて、悟浄はおもしろくないという表情を作った。もっとも、それは自業自得でもあるのだが、本人は死んでも認めないであろう。
「そう言うなって。確かいつものシリーズの新作が出るんじゃねぇのか?」
 それでも、やはり他の三人に負けず劣らず悟空の関心を惹きたがっている悟浄は、機嫌を取ろうとするかのようにこう言った。
「……+αも買ってくれるか?」
 上目遣いに悟浄を見上げながら悟空がこう問いかけてくる。高校生になったとは言え、バイトもしていないオコサマの懐具合はかなり厳しいらしい。やってみたゲームがあってもホイホイと購入できるわけがない。ついでに、強請ろうにも簡単にOKを出してもらえるものでもないのだ。
「りょ〜かい。おにーさまが買ってやるよ」
 幸か不幸か、悟浄がしているバイトはバイト代がめちゃくちゃいい。悟空が欲しがっているゲームぐらいなら十買ってもまだ余裕があるのだ。その上、今回は口実もあるし……と思ってこう言ってやると、悟空は本気でうれしそうに笑ってみせる。
(機嫌が直ったな)
 結局、この笑顔が一番か……と思いつつ、悟浄は当初の目的を果たすことにする。
「ところで……お前、どんなタイプが好みなんだ?」
 ちょっとした好奇心だけどさ……と付け加えつつ問いかける。
「タイプ?」
 いったい何の、とその瞳が問いかけてきた。どうやら悟浄が何を聞きたいのかわからないらしい。そう言えば、悟空とその手の話をするのは初めてだな――いつも、どこからか邪魔が入るのだ――と思いつつ、悟浄は説明を付け加える。
「女の。どきどきした経験ぐらいあるんだろう?」
 とりあえず『処理』については以前三蔵が教えていたようだし、性教育に関しては八戒が真っ当な分は担当していたはずだ。ならば、実践編については自分の担当だろうと勝手に決め込んでのセリフだったのだが……
「……ない……」
 しばらく考え込んでいた悟空がぼつりとこう呟く。
「へっ?」
 予想もしていなかったセリフに、悟浄は目を丸くしてしまう。
「だから、女の人相手にどきどきしたこと、ない」
 悟空がどこかむっとしたように悟浄に怒鳴った。
「……マジ?」
 そんな悟空に追い打ちをかけると知りつつも、悟浄は聞き返してしまう。
「悪かったな!」
 完全にへそを曲げてしまったらしい悟空は言葉と共に立ち上がる。そして、自分が食べた分の食器だけを持ってキッチンへと行ってしまった。
「……ちょーっちまずかったかな?」
 いつもなら悟浄の分も片づけてくれるはずの彼が一人分しか持っていかない事実に苦笑を浮かべつつ悟浄は呟く。
「奥手だとは思ってたけどさ……やっぱ、情緒面でまだまだって事か」
 悟空の育ってきた環境を思えばしかたがないのかもしれないが、だからといってこのままでもまずいだろう。
「……やっぱ、この場合は義父さんだろうな」
 三蔵や八戒にこんな事を言えば、絶対大騒ぎをするに決まっている。それどこえおか、悟浄自身の身すら危ないのではないだろうか。その点、光明であれば悟空の情緒の発達についても気にかけているのだから大丈夫だろう。悟浄はそう判断をする。
「マジ、このまんまだとやばいだろうしさ」
 こう呟くと、悟浄は目の前の食器を重ね始める。そして、八戒に怒鳴られないように洗おうとキッチンへと向かった。

「……まぁ、誰もがみな貴方のように早々にそちらに興味を持つわけではありませんからねぇ……」
 悟浄の話を聞いた光明は、笑顔で言葉を口にする。
「それに、悟空の情緒はどう考えてもまだ小学生並みですしねぇ……」
 おいおい追いつくでしょうが……と言われても、悟浄は今ひとつ納得できない。
「だけど……普通、小学校低学年でもそれなりに好きだの嫌いだのってあるんじゃないかと……」
 早い子では、幼稚園で好きだの嫌いだのとやっていたって八戒が……と悟浄は付け加える。
「……今の子はずいぶんとまた早熟なんですね……」
 八戒がいうのであれば本当だろうと思ったのか、光明はため息混じりに言葉を口にする。
「この差は何?」
 俺って、そんなに信用されてねぇの……と悟浄はぼやくが、しっかりと光明に無視をされてしまった。
「そうですね。一度それも含めて話し合ってみましょう。状況がわかれば、アドバイスのしようもありますからね」
 それに……と光明は小さく付け加える。
「おにーちゃんに袖にされて最近落ち込んでいるようだしな」
 どうしたことか、悟空の受験が終わってからと言うもの、三蔵が彼を避け回っているのだ。それの事実に悟空が落ち込んでいるのもまた事実。
「あそこまでべったりだったのはそれはそれで問題だとは思うのですが……あれはやりすぎですね」
 光明にも三蔵が何故そんなことをし始めたのかわからないらしい。なら、余計に悟空はわからないだろう。
 自分の前から逃げる三蔵を見て、いつも捨てられた子犬のような表情を浮かべている。
 だから、女の話も持ち出してみたのだがあのオコサマには気分転換にもならなかったようだ。
「……悟空の話を聞くのも大切ですけど……あの子を問いつめるのも必要かもしれませんね」
 あちらの方が厄介かもしれない、と光明は言外に付け加える。
「とりあえず、貴方と八戒で悟空のことを気にかけていてください」
 おかしいところが見られたらすぐに教えてくださいと光明は悟浄に告げた。
「わかってますって」
 俺だって、悟空は可愛いし……といいながら悟浄は立ち上がる。そのまま自室へ向かおうと廊下へ出かけて、ふっと足を止めた。
「未成年にアルコールって……見逃してもらえんの?」
 そして顔だけ光明へと向けながらこう問いかける。
「悟空に飲ませるつもりですか?」
「その方が、あいつも本心を言いやすいと思うんだけどねぇ……」
 あれって、そう言う効果もあるし……と悟浄は笑った。
「わかりました。翌日が休みの日なら許可しましょう。三蔵は……ウワバミですからねぇ……それが通用しないことが悲しいですよ」
 でなければ、今晩にでも酔わせて本音を聞き出すのに……と付け加える光明に苦笑を返しながら、悟浄はリビングを後にした。
「後は……八戒を巻き込んどくか」
 事前に相談をしておけば後々楽だろう。厄介なことはすべて光明に押しつけてしまえばいいし、と思うと悟浄は自分の部屋に行く前に彼の所へ寄ることを決意した。

 目の前には八戒手作りの酒の肴。
 そして、手にはなみなみとアルコールが注がれたコップ。
「……何かあったのか?」
 今まで決して口にすることが許されなかったそれを飲んでもいいと言われた悟空が目を白黒させて問いかける。
「入学式の準備も終わりましたでしょう? だからお祝いです」
 すかさず八戒がもっともらしい口実を口にした。それは悟浄には真似できないほど真に迫っている。
「そうそう。高校生になったんだしさ……少しぐらい飲めるようになっておかねぇと……菩薩が怖いからな」
 あのババァはぜってぇ飲ませるに決まっている、と悟浄は力説をした。
「何回もつぶされましたものね、悟浄は」
 おかげで泣きたくなるほど強くなりました、と悟浄は付け加える。
「ふぅん」
 口ではこう言いながらも、悟空は興味津々と言った表情でコップに口を近づけていく。そして、舌先でぺろっと中の液体を舐める。
「……甘い……」
 次の瞬間、驚いたようにこう口にした。
「カルーアミルク……というカクテルですよ。飲みやすいでしょう?」
「牛乳でわった奴だから、たぶん、体にもいいはずだしな」
 二人の言葉に悟空は促されるようにコップの中身を飲み込んだ。
 一度枷が外れれば、それなりに進む物らしい。しかも、悟浄と八戒が止めるどころか逆に進める始末。
 気がついたときにはかなりふわふわとした感覚に包まれていた。
「そう言えば、悟空には彼女っていないのですか?」
 八戒がさりげない口調で問いかける。
「いたら、会わせて貰おうかと思ったのですけどね」
 悟空の彼女なら可愛いでしょう? と言う八戒に、
「……いないよ……」
 悟空は小さく言い返す。
「ただの友達ならいるんだけどさ……俺、みんなみたいにあれこれ言えないし……」
 女の子にはつまらないって言われる、と悟空は白状をした。
「……誰かさんとは大違いですね……」
 八戒のこの言葉は悟空の耳には届いていないだろう。そう確信をしながら、
「わるぅございましたね」
 と悟浄は言い返す。
「じゃぁ、女の子にどきどきしたことはありますか? タイプがわかれば、悟浄がいい方法を教えてくれますよ」
 それを見事にスルーすると、八戒は悟空に微笑みかける。
「……それも……ない……」
 どよ〜んとした口調で悟空が言い返してきた。それに、八戒は笑顔のまましまったと顔に描く。
「マジで? お前、今まで人を見てどきどきしたことねぇの?」
 今度は悟浄がこう問いかける。
「ねぇわけじゃねぇけど……女の子じゃねぇもん」
 完全に酔っぱらっているのだろう。悟空はさらりとこんなセリフを口にした。それを耳にして、八戒と悟浄は無言で驚愕をする。
「男の子ですか?」
 教えてください、と八戒は柔らかい声で口にした。そして、何を聞いても悟空を嫌いになりませんから……と付け加える。
「……さんぞう……」
 それに促されるように悟空は小さな声で呟く。
「誰だって?」
 悟空のつぶやきは、悟浄にもはっきりと届いていた。だが、それを認めたくないという思いの方が強いらしい。思わず聞き返してしまう。
「だから……三蔵だってば……」
 悟空の声に次第に眠気が濃くなっていく。それでも、悟空はしっかりと言いきった。
「……マジですか……」
 あれのどこがいいんだとか、何で、よりによってあれを選ぶんだとか、悟浄は声に出さず騒ぐ。そんな彼に八戒はきつい視線を投げつける。だが、すぐに悟空へと視線を戻した。
「それって、兄弟に対するものと違うのですか?」
 かっこいいというような意味でのどきどきじゃないのか、と問いかける。
「ち、がうと思う……だって、八戒や悟浄とも違うもん……三蔵に無視されると心臓を捕まれたみたいに痛くなるし……」
 これって、そう言うのと違うよな……と囁くように口にした瞬間、悟空はテーブルの上に突っ伏してしまった。そしてそのまま寝息を立て始める。
「……何か、藪をつついたら蛇じゃなくておにが出てきたような気がするんですけど、俺……」
 飲まずにいられるか……というようにウィスキーの瓶に手を伸ばしながら悟浄がぼやく。だが、その声は悟空を起こさないように潜められていた。
「悟空の場合は、すり込みの可能性もありますからね」
 三蔵が悟空の支えであり導き手だったのだ。彼に対する憧憬が恋愛感情になったとしてもおかしくないだろうと八戒は思う。
「それに……三蔵の容姿は並の女優じゃ太刀打ちできませんしね」
 あの顔を見慣れていれば、並の女性じゃ満足できないだろうと八戒は口にした。
「性格は最悪だけどな」
 確かに目の保養にはなるか……と悟浄も認めないわけにはいかないらしい。
「しかし、あいつ相手じゃどう考えても苦労すると思うんだけど……少なくとも片恋で終わりそうじゃん」
 グラスに残った分を一気にのどへと流し込みながら悟浄は言葉を口にした。
「……三蔵次第だと思いますけどね……」
 悟浄もさすがに少し酔っていたのかもしれない。だから、さらりと告げられた八戒のセリフを聞き逃してしまった。
「何か言ったか?」
 聞き返しながら視線を向ければ、八戒は悟空の側へと移動しているのが見える。
「このままだと風邪を引かせてしまいますね……と言ったんですよ」
 それがよかったのだろうか……と思いつつ、八戒は先ほどとは違うセリフを口にした。
「だよなぁ……ベッド、運んでやんねぇとな……」
 入学式に鼻を垂らしていたらかわいそうだ……と言いながら悟浄も立ち上がる。どうやら完全にごまかされてしまったようだ。
 よっこらしょと口にしながら立ち上がる悟浄も実は酔っぱらっているのかもしれない。
「で? このことは義父さんに言うわけ?」
 悟空の体を何とか抱え上げながら悟浄が八戒に問いかけた。
「言わないわけにはいかないでしょう? お義父さんには三蔵の気持ちを確かめて貰わないと……見込みがないなら、早々にあきらめさせてあげないとかわいそうです」
 新しい恋をはじめさせるにしてもね……と口では付け加えながらも、八戒は別のことを考えているようだった。
「……しかし、何であいつなんだろうねぇ……」
「それこそ、悟空でない人間にはわかりませんよ」
 悟浄のつぶやきに八戒は苦笑で答える。
「だよな……」
 まぁ、蓼食う虫も好き好きっていうしな、と付け加えると悟浄は歩き出す。その足下のおぼつかなさに、八戒は眉をひそめる。こうなったら後かたづけは後回しにするしかないだろうと判断して、自分も彼らと共に歩き出した。
 もっとも、彼らが酒盛りをしていたのは実は悟浄の部屋。すぐに悟空の部屋へと辿り着く。ドアを開けると、悟空を抱えたまま悟浄は彼の部屋の中へと踏み込んだ。
 後を追いかけてきたはずの八戒が彼らの脇をすり抜けて、起きたままの状態だったベッドを整えてやる。
「明日は二日酔いかもな……」
「……朝はおかゆにしてあげましょうね」
 そんな会話を交わしながら、二人は悟空の体をベッドへと横たえた。それでも悟空は目を覚ます様子を見せない。
「お休みなさい。よい夢を」
 八戒はこう囁きながら、悟空の体を優しく毛布で包んでやった。
 いったいどんな夢を見ているのか、その瞬間、悟空の口元に幸せそうな笑みが浮かぶ。
 それを見た瞬間、悟浄達も思わず微笑みを浮かべてしまう。そして、その表情のまま二人は悟空の部屋を後にした。

 翌朝、悟空が二日酔いで死んでいたのは、ある意味幸せだったかもしれない……何故なら、この日、三蔵はとんでもない目に遭っていたのだ。それはまたの機会に……