松の内を過ぎてしまえば、冬休みも終わってしまう。そんなある日のことだった。 「宿題は終わりましたか?」 ぼーっとテレビを見ていた悟空の耳に光明のこんな声が届いた。 「んっとね……ワークブックと自由研究と読書感想文は終わった」 悟空は指を折りながらこう答える。 「と言うことは、まだ終わってないものがあるのですね?」 光明がすかさず指摘をすれば、悟空が苦笑を浮かべた。どうやら図星だったらしい。 「何が残っているのですか?」 三蔵が付いていてまだ残っているというものがあると言うことは、彼が苦手なものなのだろうか。そんなことを考えながら光明は悟空の隣へと座る。 「……工作……悟浄が買い物につき合ってくれるって言ってたんだけど……」 「つき合うどころか、帰ってきていないわけですね」 それでそれだけ残ってしまったのですか……と光明は盛大にため息をつく。 「三蔵は忙しいしさ……八戒には頼まない方がいいんでしょう?」 じゅけんだって言ってたから……と付け加えられた言葉の意味を、悟空が完全に理解しているとは思えない。だが、今の八戒にあれこれ頼むのだけはいけないと言うことだけは知っているようだった。 「悟空はいい子ですね。では、私と一緒に買い物に行きましょう。悟浄は……後でしっかりと怒ってあげますからね」 約束を守らないことは一番悪いのだ、と付け加えつつ、光明は悟空の顔を覗き込む。 「うん。急がねぇと間に合わなくなるもんな」 ほっとしたのか、悟空はうれしそうに頷いてみせる。 「必要なものは何なのですか?」 そんな悟空の様子に、光明はどうしてもっと早く声をかけなかったのかと少し後悔をした。だが、それを口にしても仕方がないことだろう。 「んっと……色紙と画用紙と……あとモールがあればすぐ終わるんだけど……」 他の部分はできているから……と悟空は口ごもる。 「……一人ではまだ買い物に行けませんか?」 確かそれらなら、駅前の文房具も扱っている書店にあったはず……と光明は小首をかしげて見せた。 「……だって……今、人多いんだもん……」 それに対する悟空のセリフがこれだった。どうやら、初売りのせいでいつもより人が多いというのが嫌だったらしい。誰かに付いてきてもらえるのならともかく、自分一人ででは、間違いなく具合を悪くするだろうと言う予感があったのだろう。 「初売りですからねぇ……仕方がありませんよ」 まだまだ目が離せませんね……と心の中で付け加えながら光明は腰を上げる。そして、出かけるための準備を始めた。 「コートを着てきてくださいね。その格好では、さすがに風邪を引いてしまいますよ」 その手を止めると、悟空を促す。 「もう行くの?」 この素早さには悟空も驚いたらしい。目を丸くして光明を見つめている。 「さっさと終わらせてしまいましょう。そうすれば、早めに学校に行く準備ができますし……それに、うまくいけば冬休み中にどこかに遊びにも行けるかもしれませんよ」 その瞬間、悟空の目が輝く。 「わかった」 足音をさせながら、そのままリビングを出て行った。そして、大急ぎでコートを羽織って戻ってくる。ボタンが留められていないのはご愛敬と言うべきなのだろう。 「ほらほら、ボタンもちゃんと留めてください」 苦笑を浮かべつつ、光明が注意をする。 「……だって、急ぐって言うから……」 「急がば回れ……と言いますでしょう? 何事もきちんと準備をしておかないと、後々余計な時間がかかるものです」 だから、ちゃんとボタンを留めましょうね、と言われて悟空は慌ててコートに手をかけた。しかし、手袋をしているせいでなかなかうまくいかない。 「手順を間違えるとそうなってしまうのですよ」 仕方がないですね、と付け加えつつ光明は悟空のボタンを留めてやる。 「はいできました。では、出かけましょうね」 全部留め終わると、光明は悟空の頭を軽く叩きつつこう声をかけた。 「うん」 言葉と共に悟空は光明に向かって手を出し出す。手をつないで欲しいという意思表示なのだ。それに気がついた光明は一瞬目を大きく見開く。だが、次の瞬間にはうれしそうに眼を細めると、まだ小さな彼の手を握りしめたのだった。 悟空の買い物の他に今晩の夕飯の材料も購入してきたせいか、帰りは予想よりも遅くなってしまった。 「んっと……今日は誰が作るの?」 袋を抱えるようにして荷物を運んでいる悟空が、光明を見上げながらこう問いかける。 「そうですねぇ……たまには私が作りましょうか。八戒は、今度の土日が正念場ですしね」 久々ですが、何とかなるでしょう……と光明は微笑んだ。その表情に悟空はどう言い返すべきかと言うように小首をかしげる。どうやら不安を感じたらしい。しかし、それに関しては口に出さない方がいいだろうという考えも彼の中にあるようだ。 「……お鍋?」 その代わりというように、一番無難な料理――と言っていいのかどうか悩むが――を口にしてみる。先ほど購入してきた材料ならその可能性もあると判断したせいもある。 「えぇ。かまいませんよね?」 「うん。俺、お鍋好き。ついでに、雑炊も好き」 だから、締めは雑炊にしてね、と悟空は付け加えた。 「はいはい。その方がおなかのもちもいいでしょうし……貴方がおねだりをするのは珍しいですから」 他の三人も文句は言わないだろうと光明は微笑んでみせる。実のところ、鍋の締めに関してはそれぞれ思うところがあるらしく、毎回ケンカに近いことをしているのだ。だが、今日はそれもないだろうと考えると平和でいいと考えてしまう光明だった。 「やった!」 そんな彼の内心を知るよしもない悟空が、うれしそうにこう叫ぶ。 「俺、お手伝いするから」 そして、そのまま一気にこう口にする。 「その前に工作を終わらせてしまってくださいね。でないと、カセットコンロを出せないでしょう?」 というより、悟空の宿題を自室でさせればいいものなのだが……どうやら光明はそばで見ている気満々のようだ。 「ついでにそうですね……ワークの答え合わせもしておきましょう。間違っているところがあったら恥ずかしいでしょう?」 ね、と言われては頷かざるを得ないらしい。悟空は小さく首を縦に振って見せた。 「いい子ですね、悟空は」 言葉と共に光明は悟空の頭を撫でようとする。しかし、両手に荷物を抱えているのでそれは難しそうだった。その事実を残念だと思ったその時である。 「あ〜っ! 悟浄だ!」 悟空がこう叫ぶ。彼の視線の先を追いかければ、確かに見慣れた真紅の髪が揺れている。 悟浄の方も悟空の声で二人の存在を認めたのだろう。仕方がないというように歩み寄ってくる。 「……何で二人そろってんなとこうろついてんだよ……」 そして疲れたという表情を隠さずにこう問いかけてきた。その瞬間、光明の目が光る。 「そう言うことを言っていいのですか、悟浄?」 にっこりと微笑む口元とは裏腹に、その瞳が怖い。確かに彼は八戒の父親でもあると言うことだ。 「な、んの事……かなぁっ……」 八戒のそれにはだいぶ慣れてきたものの、さすがに光明のそれは怖いらしい。頬を引きつらせながら、悟浄がこう聞き返してくる。 「悟空と約束をしていたのでしょう?」 にこにこと笑みを深めつつ光明はさらに言葉を重ねた。 「……そ、だっけ?」 何かしたような気もするけど……と付け加える悟浄の背中に冷たいものが走る。このままではまずい。何とか逃れようと悟空に確認を求めるが、小さく首を縦に振られてしまった。 「工作に使う材料、一緒に買いに行ってくれるって言った」 さらにこう付け加えられては、悟浄に逃げ道などない。 「わっ、すれてた……悪ぃ……」 今の二人の様子であれば悟空がおとなしく待っていたことは分かってしまう。自分が明日から新学期だ……と言うことを考えれば、悟空もそうだといえるかもしれないのだ。 「……お小言は家に戻ってからにしましょう。貴方はどうでもいいですけど、悟空に風邪を引かせるわけにはいきませんからね」 そう言いながら、光明は歩き始める。 「あっ!」 しかし、初めて見る光明の様子に悟空は動くことができないらしい。 「……マジ、やばいじゃん」 その原因は間違いなく自分だろう、と悟浄は全身を悪寒が包み込むのを感じた。だが、悟空を放っておく訳にもいかない。本当に風邪を引かせてしまったら、光明だけではなく他の二人にも何をされるかわからないのだ。 「しかたがねぇな。自分で蒔いた種だ」 光明のことだから殺されるようなことはないだろう。そう開き直ると、荷物ごと悟空の体を抱き上げる。そして光明の後を追いかけたのだった。 「……どうしたんだ、いったい?」 バイトから戻ってきた三蔵が、室内の様子に思わずこう呟く。 「僕にもよくわかりません」 先にこの雰囲気を察して顔を出したらしい八戒が、苦笑を浮かべつつ答えを返した。 「ただ、悟空がお義父さんを怖がってしまっているようなんですよね。珍しくも側に行きたがらないのですよ」 三蔵の次に懐いていたはずなのに……といいながら、八戒はリビングの隅で工作の続きをしている悟空へと視線を向ける。つられたように三蔵も視線を向ければ、確かに光明の動き一つ一つに反応を返す姿が見えた。 「……悟浄の馬鹿も何かしたようだな……」 よくよく見れば、光明の怒りは悟浄に向けられているようにも思える。と言うことは、悟空のこの恐がりぶりはそのとばっちりを受けた……と考えるのが一番無難であろう。 「父さんも、こうなると見境無いからな」 悟空の存在すら頭の中から押し出されているのではないだろうか。 逆に言えば、それだけ悟浄に怒りを感じていると言うことだろう。 「あれは収まるまで口出ししても無駄だから、悟空の方をフォローしておくか」 「ですね」 二人は早々に悟浄を見捨てる同意をする。それよりも、また悟空の対人恐怖症が悪化しては大変だと判断したのだ……というのが彼らの言い分だった。それに関して文句を言える人間はいないだろう。 「まずは……連れ出すか……」 このままここにおいておくのはよくないだろうし……と言いながら、三蔵は腰を上げる。そして、悟空の側へと歩み寄った。 「悟空」 声をかければ、悟空の肩が跳ね上がる。そのまま顔を上げた彼の表情は困惑を色濃く映し出していた。 「八戒が甘いもの喰いたいんだと。一緒に行くか?」 直球勝負すれば、間違いなくNOという答えが返ってくるだろう。それだったら、八戒をだしにする方がましだ……と三蔵は判断する。別段三蔵でもいいのだが、外から帰ってきたばかりの自分では説得力がない。 「……でも、ご飯の前だよ……」 それに、宿題が終わっていない……と付け加える。この調子では、ストレスをためながらもこの場で工作を続けるだろうことは目に見えていた。 「根詰めてもいいものはできねぇぞ。気分転換も必要だろう?」 この三蔵の言葉に悟空は考え込むように小首をかしげる。これはもう一押しで何とかなるのではないか……と判断をした三蔵はさらに言葉を重ねる。 「それにな。俺と八戒だけでケーキを食うのと、お前が一緒に行くのと、どっちがマシだと思う?」 この言葉に、悟空はその光景を思い浮かべたらしい。 「……別に、おかしくねぇんじゃねぇの?」 だが、三蔵達が基準の悟空にはどこがおかしいのかわからなかったようだ。こんなセリフを返してくる。 「ケーキ屋に男二人で行くのはかなり恥ずかしいことなんだよ。と言うわけで、口実につきあえ」 溜め息と共に説明を口にすると同時に、三蔵は悟空の脇の下を掴む。そしてそのまま抱き寄せるようにして立たせた。 「悟空のコートを持ってきましたよ」 タイミングを見計らっていたかのように、八戒が声をかける。そして、悟空が反論を口にする前にさっさと彼を連れ出してしまったのだった。 悟空を抱えるようにした三蔵と八戒が目的の店に着いたのは、それからすぐ後のことだった。ここまで連れてこられては――というより、ショーケースの中に並べられているおいしそうなケーキを見てしまっては、と言うべきか――悟空のおなかもケーキを食べたいと訴え始める。 その事実に、してやったりという表情を二人が浮かべたことに悟空は気がつかなかった。 「さて……」 注文を終えたところで三蔵が隣に座っている悟空へと視線を据える。 「何?」 その視線に、悟空が少しだけ身をすくめた。それを解きほぐしてやるかのように、三蔵は柔らかく微笑んでやる。 「父さんと悟浄の間に何があったか、知ってるか?」 三蔵の表情に安心したのか、悟空は素直に頷く。 「えっとね……工作に使う材料を一緒に買いに行ってくれるって言ってたのに、悟浄がいなかったから、今日、おじさんと一緒に行ったんだ。そうしたら、帰りに悟浄にあって、俺との約束を忘れてたってわかったら、おじさんが怖くなった……」 素直に悟空が口にした内容に、三蔵と八戒は同時にため息を漏らす。 「で、父さんがマジ切れしたのか……」 「文句は後で言うことにして、放っておくしかないでしょうね」 普段穏やかなだけに切れると厄介な光明を、二人はよく知っている。 「まぁ、悟浄については……」 「お仕置きを考えておかねぇとな」 それよりも、そんな状況になる原因を作った相手に怒りの矛先を向けた方が建設的だろう。 「その前に、悟空の宿題ですね。残っているのは工作だけですか?」 方針が決まれば、あとは悟空の気持ちを和らげるだけである。八戒が微笑みと共にこう問いかけた。 「うん」 「そうか。がんばったな」 言葉と共に三蔵が悟空の頭を撫でてやる。それだけで悟空はうれしそうに笑ってみせる。 「悟空はまじめでいい子ですからね」 八戒がさらに言葉を口にすれば、彼の笑顔はますます明るくなった。 「じゃ、さ。俺がもっといい子なら、おじさん、怖くなくなる?」 その表情のまま、悟空は二人に向かってこう問いかけてくる。その内容に、二人はまた深いため息をつく。 「八戒……電話かけてくる。後頼むな」 三蔵は早々に戦線離脱を決め込んだようだ。あるいは、他に何かをしようと思ったのかもしれないが…… 「……だめなのか?」 文句を言おうとした八戒の耳に、悟空のこんな声が届く。 「そんなことありません。お義父さんが約束を破る人が大嫌いだ……と言うことは知っているでしょう? だから、悟浄のことで切れちゃっただけです。落ち着けばいつものお義父さんに戻りますからね」 八戒の言葉をどこまで悟空が信用してくれているだろう。だが、少なくとも本気で信じていたいとは思っているようだ。小さく頷いている。 「だから、帰ったら工作を終わらせてしまいましょうね。後少しでしょう?」 「うん」 八戒の言葉に悟空が頷いたとき、彼らの前に注文した品物が届けられた。早速悟空はフォークを手に取る。しかし、食べようとした寸前で悟空は動きを止めた。 「どうしました?」 いつもならすぐに食べ始めるのに……と八戒は不思議そうに声をかける。 「三蔵が戻ってきてから喰う」 八戒に悟空はこう言い返した。 「そうですね。一人だけ仲間はずれにするのはかわいそうですものね」 八戒はテーブル越しに手を伸ばすと悟空の髪を優しく撫でてやる。そして、さりげなく三蔵を捜す。すると、玄関の側で携帯で誰かと離している彼の姿を見つけた。 八戒の視線を感じたのだろう。三蔵が問いかけるようなまなざしを向けてくる。八戒は唇の動きだけで今の話を伝えた。 それに頷き返すと同時に、三蔵は通話を終わらせる。足早に戻ってきた三蔵は、 「待たせたな」 謝罪なのか何なのかわからないセリフを口にしながら元の席に腰を下ろす。 「さて、喰ったら戻るか」 この言葉を合図にして、悟空がフォークを握りなおした。 「いただきます」 礼儀正しく挨拶をすると、悟空はうれしそうにケーキを崩し始める。そしてそのまま口の中に放り込んだのだった。 三人が目の前のケーキを食べ終わる寸前、光明が息を切らせながら店内に駆け込んできた。 「……どうしたの?」 そんな彼の様子に、悟空が目を丸くする。 「急いで貴方に謝ろうと思ったのですよ」 知らぬこととはいえ、怖い思いをさせてしまいましたでしょう? と言われて、悟空は困った表情を作った。そして、助けを求めるかのように三蔵へと視線を向ける。 「ほら。お前のことを怒ってた訳じゃないだろう? ただ、父さんが本気で怒らないように気をつけないといけないけどな」 まぁ、今回はたまたまタイミングが悪かったんだって……と言われて、悟空はおそるおそる光明へと視線を戻す。確かに彼は本気で心配をしているという表情を作っている。悟空にもわかるくらいだから、嘘ではないのではないだろう。 「……もう、怖くない?」 それでもまださっきまでの恐怖心が残っているのだろうか。こんなセリフを口にする。 「怖くありませんよ。ねぇ」 光明は思わず三蔵達に同意を求めてしまう。それに二人は苦笑だけで答えたのだった。 悟空の工作も無事に完成し、安心したように布団に潜り込んだ頃、悟浄はまだリビングの隅で固まっていたという。彼が無事に新学期、登校できたのかどうか、知るものは誰もいなかった。 終
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