日々是好日・七
「だから、俺は知らないって言っているじゃないか!」
 三蔵の瞳をを真っ直ぐに見つめると悟空はそう怒鳴る。
「こいつらが何を言っているのかしらねぇって! 第一、あそこには三蔵が行くなって言ったじゃん。だから俺は行っていない!」
 その黄金の瞳はあくまでも真摯だ。
(……この猿に腹芸なんて器用なマネが出来ねぇって言うのは判っているんだがな……)
 だからといって、僧侶達の言い分を聞かずに判断するわけにも行かない。と言うのが面倒な所ではある。
「ですが、三蔵さま。そいつ以外にあのような罰当たりな真似をするものがこの寺におるとは思えません」
「そうです。不浄な妖怪ならともかく、僧侶達にあのような真似はできません」
 その口調の中に明確な差別意識を感じ取って、三蔵は眉をひそめる。しかし、悟空の罪を三蔵に報告していると思っている僧侶達はそれを別の意味に捕らえたようだ。
「そもそも、そんな不浄の子供を連れて来られたのが失敗だったのです。今からでも遅くありません。ここから追放すべきです」
 僧侶の一人が自分を指さしてそう言いきった瞬間、悟空の表情が変わる。その意味が判らない三蔵ではなかった。
(ったく……こいつらの偏見はどうにかならねぇのかよ……)
 どうやら、本当に悟空がそうしたのかどうかよりも悟空をここから追い出す事の方が重要らしい。おそらく、本当に悟空は犯人かどうかを調査したかどうかも怪しいのではないだろうか。何だかんだと難癖を付けて三蔵に悟空を処分させたいというのが態度から伝わってくる。
 一応、仏教が『不殺生』を教義の一つとして唱えている以上、彼らにしても『殺せ』とまでは言いたくても言えないのだろう。
 だが、悟空にとって『三蔵の傍に居られなくなる』と言うのは死刑よりも辛い刑罰だといっていい。必要が無くなったら殺してやると言われた時の嬉しそうな表情がそれを如実に物語っていた。
「念のために聞くが、本当にこいつがやったって言う証拠は有るのか?」
 面倒くさいと言う態度を崩さないまま、三蔵が問いかける。
「証拠……ですか?」
 何をいったい言い出したのかと僧侶が顔をしかめた。
「そのようなものなかったとしても、その者以外に考えられません」
 いささか年が若い方の僧侶が胸をはってそう言いきる。
「俺じゃねぇってば!」
 悟空が再び口を挟んでくる。それを視線だけで止めさせると、三蔵は口元に酷薄な笑みを浮かべた。
「一体、いつ、仏が『妖怪を疑え』って言った? 犯人を見つけられなかったから、この馬鹿に押しつけようとしていると言われても仕方がねぇな」
 三蔵はそう言うと、それ以上何も聞く耳をもたないというように書類に視線を落とす。その三蔵の様子に、悟空は嬉しそうな表情を作った。
「三蔵さま! そうはおっしゃいますが……」
 しかし、僧侶達はそんな三蔵の態度に納得できないらしい。しつこくも食い下がろうとする。
「うるせぇな……じゃぁ、まず聞くが、その事件が起こったのはいつだ?」
 ため息とともに三蔵はそう問いかけた。
「いつ……と言われましても……気がついたのが先程の事です」
 それがどうかしたのかと言う表情で年かさの方の僧侶が答える。
「で? 宝物庫はあり一匹は入れない建物の上に、入口には鍵がつけられてたよな。それが壊されていたのか?」
 何で俺がこんな面倒な事をしなければいけねぇんだと呟きながら、三蔵はさらに質問を口にした。
「……いえ……」
「じゃぁ、どうやってこの馬鹿猿が入れたんだ? こいつは物を壊すのは得意だが、細かい作業は苦手だぞ」
 きっぱりと言いきる三蔵に、悟空は一瞬ムッとした表情を作った。しかし、事実である以上文句を言う事もできない。第一、黙っていろと言われたのに騒いだらこのまま見捨てられる可能性が有るのだ。ぐっと唇をかんだまま三蔵を見つめている。
「……それは、おそらく前にかぎを開けた時に……」
「おかしいな。俺の記憶だと、確か前に宝物庫のかぎを開けたのはこの馬鹿猿を拾ってくる前だったと思ったが……記憶違いか?」
 三蔵がそういった瞬間、僧侶達はギクッと身体を硬直させる。
「それとも、これ幸いとこの馬鹿を追い出す名目にしたのか?」
 冷たい声でさらに付け加えた。
「いっ……いえ……」
「滅相もございません」
 まさかこういうしっぺ返しを食らうとは思っていなかったのだろう。逆に三蔵の不興を買う羽目になった二人は冷や汗を浮かべながら辛うじてそう言った。
「なら、貴様らが責任をもって誰が壊したのか見つけるんだな。そして、俺に報告をしろ。いいな」
 本来なら三蔵にそのような権限が有るわけではない。最高僧の照合を持っているとはいえ、この寺院ではトップというわけではないのだ。それをたてに二人は三蔵の言いつけを拒否する事もできただろう。しかし、彼らは三蔵の怒りをこれ以上かき立てない方が重要だったらしい。
「わ……判りました……」
 異口同音にそう言うと、これ以上三蔵に何か言われないうちにと彼の執務室から出ていく。後にはムッとした表情の二人だけが残された。
 しばらくの間、まるで我慢比べをするかのように沈黙が続く。しかし、先に耐えきれなくなったのは怒りがレッドラインまで上がっていた三蔵の方だった。
「ったく……面倒を起こしやがって……」
 そう言いながら、袂に手を入れるとたばことライターを取り出す。箱から一本取り出すと、三蔵は口にくわえた。
「……俺、何もしてない……」
 火をつけたたばこを深々と吸い込むのを見ながら悟空が呟く。
「判っている。ただ、ここで暮らす以上、これからもこんな事が起こるぞ」
 僧侶達の『妖怪』に対する偏見が無くならない以上、それはあながち嘘とも言えない。
(正確に言えば、こいつは『妖怪』でもねぇんだけどな)
 それでも異端である以上、彼らにとっては同じなのだろう。その度にこの騒ぎかと思うといささかうんざりしてくる三蔵だった。
「……判ってる……だから、今日も三蔵の言いつけ通りに手を出さなかったんじゃん」
 そんな三蔵の気持ちが判っているのか、いないのか。悟空はこう言い返して来た。
「当たり前だろう、この馬鹿猿! お前がちょっと暴れただけでどれだけの物が壊れるか自覚しているのか? そもそも、今回の事だって、お前がしょっちゅう部屋の物を壊すからだろうが」
 どこから取り出すのか未だに判らないハリセンが、遠慮なく悟空の頭に落ちる。
「……だって、あんなに物が壊れやすいなんて知らなかったんだもん……」
 悟空にしてみれば、ほとんど最低限の調度しか置いていない三蔵の部屋でもゴチャゴチャしているらしい。だから、すぐに物を引っかけてしまうのだと……
「だったら、気をつけろ!」
 もう一度スパーンと音をたててハリセンが降ってくる。
「ともかく、二度とあの馬鹿どもにつけ込まれるような口実を作るな! 今回はたまたま運が良かっただけなんだからな」
「……俺、また一人になるの?」
 三蔵のそのセリフに、悟空が不安そうな表情を浮かべる。
「その前に、責任とってちゃんとあの世に送ってやるといっただろうが……だから、そうならないように気をつけろって事だ」
 三蔵はそんな悟空の不安を取り除くかのようにそう言った。案の定、悟空はホッとしたような表情を作る。
(ったく……こいつのこの不安はいつになったら無くなるんだろうな……)
 五百年の孤独など想像できるはずもない。自分はもちろん、目の前の存在以外誰も経験した事がないのだから。
 そもそも、一体どれだけのことをしでかせばある意味死ぬより辛い刑罰に架せられるのか。
 答えが出せない疑問だけが三蔵の中で膨れ上がっていく。
 いきなり黙り込んでしまった三蔵をどう思ったのだろう。悟空が不思議そうに近づいて来ようとした。しかし――と言うか、案の定と言うか――その途中で三蔵の机の脇に立てられていた衝立にぶつかってしまう。当然のようにそれはバランスを崩して三蔵の上に倒れ込んで来た。
 考え込んでいた三蔵がそれを避けきれるわけもなく……
「……三蔵? 大丈夫??」
 その上、驚いた悟空が慌てて衝立を起こそうとして机の上の物までなぎ払ってしまったものだから、せっかく下がっていた三蔵の血が再び頭のてっぺんまで駆け登ってしまった。
「……この、馬鹿猿! どこ見ているんだ!!」
 その叫びとともに三蔵のげんこつが悟空の頭の上に落ちて来たのは言うまでもないだろう。