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さえざえとした光が開け放たれた窓から部屋の中に入り込んでくる。 それはベッドで寝ている三蔵の上にも遠慮なく降り注いでいた。そして、夜とは思えないその明るさが、元々そう深くない三蔵の眠りを打ち破る。 (何だよ、全く……) 自分は窓を閉めなかっただろうか……そう思いながら、三蔵はベッドの上で寝返りを打った。まだ上下がくっついていたいという瞼を無理やり動かして薄目を開ける。 その瞬間、三蔵は開け放たれた窓の枠に腰掛けている人影がある事に気づいた。 「誰だ!」 反射的にベッドの上に飛び起きる。 だが、その人影は三蔵の声にも何の反応も示さない。ただ、黙って窓枠に腰を下ろしているだけである。 どうやら自分に危害を加える可能性はないらしい。そう判断した三蔵は何気なく部屋の中に視線をさまよわせた。そして、自分のベッドの下に敷いてある寝具に気がつく。 (……そういや、五行山からうるせぇ馬鹿猿を拾ってきたんだったな……) まだ悟空を手元に引き取ってから日が浅いせいか、三蔵は彼の存在になれないでいた。だから今もとっさに判らなかったのだ。 (ったく……面倒だよな……) そうは思っても、拾ってきてしまった以上どうしようもない。ここで放り出して他の僧侶達からとやかく言われるようなすきを見せたくないし……かといって、声を掛けられるような雰囲気でもない。 (さて、どうするかな) たばこを吸えばいくらかでも思考が働くのだろうが、寝起きの今ではそこまで要求するのは酷だろう。だからといってこのままぼぅっとしているわけにもいかない。寝直そうにもこの明るさではちょっと――いや、かなり難しそうだ。 「やっぱ、あの猿を何とかしねぇといけねぇわけだ……」 寝不足のまま朝の勤行というのはごめんだ。そう結論づけた三蔵は、仕方がないというようにベッドから抜け出す。そして足早に窓際に座ったまま月を見上げている悟空の元へと歩み寄った。 「この馬鹿猿!」 三蔵は何をしているんだとかさっさと寝ろとか言葉を続けようとする。しかし、ようやくはっきりと見えるようになった悟空の顔を見て思わず言葉を飲み込んでしまう。 何も見てはいないのではないかと思える瞳の中に、蒼穹に掛かる月がはっきりと映し出されている。だけならまだしも、その双眸からあふれ出した涙が子供らしい丸みを帯びた頬を伝い落ちていたのだ。 これでその瞳に少しでも感情の色が見えていれば、三蔵にしてもここまで焦らなかっただろう。しかし、今の悟空の瞳は何も映し出していなかった。今瞳の中にある『満月』すらも認識しているかどうか怪しいものだ……と三蔵は思う。 今の悟空の様子とよく似た症状を三蔵は以前に一度だけ見た事があるのだ。いや、前に見た症状より今の悟空の方が害はないと言えるかもしれない。まだ『江流』と呼ばれていた頃に見たのは、意識は眠ったまま暴れまわるという物凄く厄介な事例だったのだ。何でも、暴れた方の若い僧侶が他の者達にいじめられていたのだという…… 『よっぽど鬱憤がたまっていたのでしょうね……気がつかなかった私にも責があると言わずにはおられませんね』 正気に戻ってからうろたえる彼に向かって光明三蔵がそう言っていた声を三蔵は今でもはっきりと思い出せる。 しかし、本当に今の悟空があの僧侶と同じ症状なのか……といわれても三蔵には判断がつかない。ただ寝ぼけているだけの可能性もあるからだ。 「おい」 どうするべきか判断がつかないまま三蔵は再び悟空に声を掛けた。だが、予想どおりというか何というか……悟空は何の反応も見せない。ぼうっと月を見つめたままだ。 「寒いだろう! さっさと窓閉めねぇか!!」 今度は耳元でこう怒鳴ってみる。それでも悟空は月から視線を離そうとはしない。 (目ぇ、開けたまま寝てんじゃねぇよ……) 無理やり布団の中に放り込んでやろうか。だが、それで悟空の症状が悪化しても困る。忌ま忌ましいし面倒くさいのだが、最後まで責任をもつといってしまった以上山に捨ててくるわけにも行かないだろう。 (師匠はどうしたんだっけな、あの時) 思い出そうとしても、その部分はかすみがかかったように記憶の中でぼやけている。 逆に言えばそれだけ光明三蔵以外の相手に対する意識が希薄だったという事なのだろう。と言っても、今だってそれが改善されたわけではないのだ。それなのに、どうして悟空相手ではそうもいかないのか。考えては見るのだが答えが出た試しはない。 (ったく……本当に面倒だな。見捨てて寝るか) ため息をつきながら三蔵は悟空の方へさらに近づいた。 その瞬間、三蔵の髪が月の光を弾いてきらめく。 「……?……」 その三蔵の髪に、今まで無反応だった悟空がゆっくりと視線を向けてきた。 「悟空?」 三蔵の声を認識しているのかいないのか……悟空は三蔵の髪に視線を向けたまま不思議そうな表情をして見せる。次の瞬間、悟空の指が三蔵の髪に絡みついて来た。 「おい?」 いったい何を……と思った瞬間、悟空が幸せそうな笑みを作る。 「・・・・」 そして、唇が何か言葉を綴った。しかし、それは声にならないまま虚空に消えていく。 「何が言いたいんだ、この馬鹿猿」 呆れたように三蔵はそう言った。そのまま悟空の頭に手をおく。それだけなのに、悟空の表情はさらに幸せそうな笑みを深めた。 「よかった……ここにいたんだ……」 「んっ?」 どういう意味だと問い掛けても、おそらく悟空には通じないだろう。そう思いつつも、三蔵は聞き返したい気持ちを押さえきれなかった。だが、三蔵が口を開くよりも早く、悟空の身体がぐらりっと三蔵の方に倒れ込んでくる。 「この馬鹿!」 反射的に三蔵は悟空の身体を抱き留めてしまう。その重みを全身で感じた瞬間、三蔵は何でこんな事をしてしまったんだというように舌打ちをしてしまう。腕の中の悟空を見つめれば、気持ち良さそうに眠っている顔が三蔵の目に飛び込んで来た。 「ったく……」 あまりの馬鹿面に、三蔵はすべての毒気を抜かれてしまう。ため息とともに悟空の身体を抱き上げると、寝具の上に放り出そうとした。しかし、悟空の指がしっかりと三蔵の夜着を掴んだまま離そうとしない。 「ったく、しょうがねぇなぁ……」 たまにはいいか……と付け加えると三蔵は悟空を抱きしめたままベッドに戻る。そして小さな身体を抱きしめたまま瞳を閉じた。 だが、三蔵がそれを後悔するまでに時間は掛からなかった。 「この馬鹿猿! 寝ている時ぐらいおとなしく出来ねぇのか!」 その叫びとともに悟空の身体がベッドから蹴り落とされる。それでも目を覚まさなかった悟空はたいしたものだと言うべきなのだろうか……ともかく、翌朝の三蔵の機嫌が最悪だったのだけは間違いない事実だった。 ついでに、悟空が自分の行動を覚えていなかったのも事実だった。 その後、三蔵は何度か同じような光景を目にする。それがすべて満月の夜だと気がついたのは何回目の事だったろうか。 しかし、その理由は未だに判らないままだった。 終 |