日々是好日・十

「Trick or Treat!」
 こう叫びながら悟空が執務室に飛び込んでくる。
「ウルセェ!」
 当然のように悟空の頭の上には三蔵のハリセンが振り下ろされた。いつもなら避けられる悟空だが、今日は何かを抱え込んでいたせいで反応が遅れてしまう。
「仕事の邪魔をするんじゃねぇって、いつも言ってるだろうが!」
 それでも手にしていた荷物を放り出さなかった悟空をあきれ半分感心半分で見下ろしながら、三蔵がこう口にする。
「……いっつもなら、お仕事終わっている時間じゃん」
 だから、帰ってきたのだと態度で示しつつ、悟空は体を起こす。さすがに荷物を抱えたままでは無理だったらしい。彼の前にそれが置かれていた。
「猿」
 荷物の中身がほとんどお菓子であることに気がついた三蔵は、どうやって入手してきたのか問いただそうとした。
「何だよ!」
 だが、体を起こした悟空の様子に、別の疑問が湧き上がってしまった。
「その格好、どうしたんだ?」
 悟空の服自体は、朝出かけるときと変わっていない。しかし、奇妙なオプションが付いていたのだ。
「それに、その菓子の山はどっから持ってきた?」
 手作りの菓子だけならば、八戒が持たせたのだろうという判断もできる。だが、どう見ても中には彼が悟空に与えるとは思えない毒々しい色合いのものも存在していた。どこか他の場所から調達してきたと考える方が普通であろう。
「今日ははろうぃんなんだって。街に行って『Trick or Treat!』って言うと、お菓子がもらえたんだよ」
 八戒から教えてもらった、と悟空は付け加える。
「その格好は?」
 三蔵はさらに悟空に問いかけた。
「はろうぃんのときは、かそうっていうのをするんだって言って、八戒がつけてくれたけど?」
 似合わないか? と問いかけられて三蔵は困ってしまう。似合う、似合わないの問題で言えば、八戒が悟空につけたとおぼしき犬耳もしっぽも似合っている。それはそれでかなり問題があるのだが……
「ったく……そういうことは漢字とカタカナとひらがなを区別できるようになってから言え」
 ある意味、予想通りの内容に、三蔵は思わずため息をついてしまう。
「あいつにも、余計なことを教えるな……と言っておかねぇとな」
 一応、悟空の保護者は僧侶である自分なのだ。これがクリスマスやバレンタインのようにある意味一般的になったものならともかく、他宗教の行事についてはあまり知識を与えたくない。
「なんでだよ。三蔵のオーボー! ジコチュー!!」
 そんな三蔵のセリフに、悟空が文句を言い始める。彼の行動は予想していたことだとは言え、その騒々しさには我慢できなくなってしまった。
「だから、全部漢字で書けるようになってから文句は言え!」
 三蔵は言葉と共にまたハリセンを振り下ろす。今度は予想していたのか、悟空は慌てて逃げた。そのままは離縁は空を切ってしまう。
「別にいいじゃん! 八戒だって言ってたぞ。楽しめばいいんだって!」
 宗教的な問題は脇に置いておいてもいい……というその言葉に三蔵自身は同意を示す。だが、寺院で行われる行事に関してまで悟空にそう判断されてはたまらない。だから、うかつに同意を表明することはできないのだ。
「クリスマスのように一般的な行事になってねぇだろう」
 こう口にすることで三蔵は悟空に釘を刺す。
「……だって、さ……楽しそうだったんだもん……」
 子供達が仮装をしておやつを貰って歩いている様子が、と悟空は言外に告げる。
「お菓子も欲しかったけどさ。あぁやってみんなでわいわいと歩くのってやったことねぇし……でも、八戒がこの格好させてくれたら、知らなかった連中でも仲間入れてくれたし……」
 その事実の方がうれしかったのだと悟空は全身で表現をしていた。
「ったく……てめぇにゃ、俺がいただろうが」
 無意識のうちに、三蔵はこんなセリフを口にしてしまう。
「そうなんだけど……でも……」
 大勢でわいわいと遊んだことがない悟空にしてみれば、三蔵と一緒に出歩くのとはまた違った楽しさを知って興奮しているのだろう。そこに三蔵がさっきのセリフを投げかけたせいで混乱しているらしい。
 自分が原因の悟空の様子に、三蔵も困惑してしまう。もっとも、それを表情に表さないところが三蔵であろう。
「まぁ、ガキと一緒に騒ぐのが楽しかったてぇのは、テメェの感覚だからな。俺がとやかく言うことじゃねぇか」
 って言うか、てめぇがそのガキ共と同レベルだって言うだけか……と三蔵は先ほどのセリフをごまかすように口にする。
「で? 他には何かしてきたのか?」
 そして、こう問いかけた。
「……んっと……カボチャを提灯にしてた……食べるようじゃなくて、そのためのカボチャなんだってさ」
 食えねぇカボチャ作って楽しいのかな……と付け加える悟空の表情はいつものものに戻りつつある。だが、彼の心の中でまだわだかまりが残っているようなのは事実だった。
「カボチャの提灯か……馬車でないだけましか」
 しかし、それも三蔵のこのセリフで吹っ飛んでしまったらしい。
「馬車? んなの作れるようなでかいカボチャがあるのか?」
 悟空が目を丸くしながらこう問いかけてくる。
「馬鹿猿。物語の話だ。テメェ用の本棚にあるだろうが」
 気になるんだったらさがしてこい! と三蔵はまたハリセンを振り上げた。それを避けるように悟空は荷物ごと移動を開始する。
「三蔵、晩飯までに仕事終わるよな?」
 私室への入口のところで立ち止まると、悟空は振り向いた。
「……そのつもりだ」
「じゃ、一緒に飯食えるな」
 悟空は笑いながらこう口にする。
「それまで、おとなしく本でも読んでろ」
 こう言うことで、三蔵はその言葉に応えた。それで悟空には十分だったらしい。口元に笑みを浮かべると今度こそ姿を消した。

 しかし、これで終わったと思うのは早計だったらしい。
「この馬鹿猿!」
 仕事を終え、私室に戻ろうとドアを開けた瞬間、三蔵の目の前に大きなカボチャが現れる。その中にろうそくの明かりがともっていたことから、これが先ほど悟空が言っていたカボチャ提灯らしいとわかった。
 しかし、何故これがここにあるのか。
 いや、誰の仕業かなどと言うことは聞かなくてもわかる。というより、三蔵にこんな事ができるのは一人しかいないであろう。
「だって、今日はいたずらしてもいい日なんだぞ」
 そんな三蔵に対し、悟空が意味ありげな笑いを向けていた。
「ったく……根に持っていやがったのかよ……」
 その表情に思わずため息をついてしまう。だが、怒るに怒れない三蔵であった。