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「どうしてあんな子供を……」 三蔵が悟空を連れ帰った途端、寺の内部はまさしく蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。 ほとんど拉致される様な状態で三蔵は高僧達が待つ部屋へと引きずられていく。悟空の方は……と言うと、三蔵の自室の中に閉じ込められていた――もっとも、腹が減ったと大騒ぎする声は寺院内のどこにいても聞こえる。おそらく誰かが根負けして何か食べ物を盛って行かない限りあのままだろう―― (……うるせぇ奴……) 心の中で小さくつぶやくと、三蔵は周囲の人間達を一人一人睨み付けた。 「どうしたって、俺の事を呼んでいたからな。放っておくのも鬱陶しいだけだから連れてきただけだ」 そして、けろりっとこう言い返す。最近、ようやく風変わりな今代の『玄奘三蔵』の言動に慣れつつあった彼らもこれには驚いたらしい。 「三蔵様……あれが何であるかご存じの上でのお言葉でしょうか?」 その衝撃から何とか立ち直った僧都がそう問いかけた。 「あれが何か? そんなの決まっているだろう。ただの腹をすかせた馬鹿猿だ」 いい加減、何か喰わせないと自室が恐ろしい事になるのでは……と思いながら、三蔵はひと言で僧都の問いを切り捨てる。 普段なら、これで終わるはずだった。 しかし、今回はそれですまされない。『悟空』の存在は高僧達にとってそんな簡単に割り切れるものではなかったのだ。 『斉天大聖孫悟空』 人でも妖怪でもない異端の存在。天界でも持て余したと伝えられているそんなものを縒りにもよって三蔵が拾ってくるなんて……と彼らの視線がそう伝えて来ている。 しかし、そんなもの三蔵には関係がなかった。 自分でもどうして悟空を連れてくる気になったのかはっきりとは判らない。悟空が『人間』ではない以上、寺院では形見の狭い想いどころかあからさまに迫害を受けるであろう可能性も判っていた。それでも、あの信じられないという様に自分を見上げて来た黄金の瞳を見た瞬間に自分の全身を貫いた『手放したくない』と言う想いをねじ伏せられなかったのだ。 「ですが、三蔵様……」 「あれが天界ですら持て余した存在だって言うなら、それを飼い馴らせたらそれこそ仏のご加護だと皆が言うだろう。それでは不十分なのか?」 本当なら何時もの様に『死ね』とか『殺す』とか言いたいところなのだが、ぐっと我慢して悟空を此処に置く事はある意味名誉もついてくるぞと言い捨てるだけにする。 だが、そのセリフが僧侶達には一番効果的だったのは事実だ。案の定、『仏の加護』と『名誉』の二言に目の色が変わって来ている。 「……確かに、あれをここに置いておけばすぐ側で監視できますな……」 「三蔵様があれを拾って来たのも、あれが三蔵様になついているのも、すべては仏の思し召しなのかも……」 先程までとは打って変わった口調でそう言っている僧侶達を三蔵は冷たい視線で見つめていた。 (……ゲスが……) 心の中でそう呟いてみるが、あえて口に出す事はしない。下手に口を出して事態を悪化されるよりもそれどころか、これで会話を終わらせられるかもしれないという事実の方がありがたいのだ。 「話はこれで終わりだな」 そう言い残すと三蔵は踵を返した。さすがにあのまま悟空を放っておくのは少々心配になったのだ。 「三蔵様、一つだけよろしいでしょうか?」 だが、そう簡単にこの場から逃げさせてはもらえないらしい。 「何だ?」 ちっと小さく舌打ちをすると三蔵はまた僧侶達に向かって視線を向けた。 「もし、あの者が何か問題を起こした時は……」 その視線に腰が引けながらも僧侶の一人がそう問いかけてくる。 (……こいつらは……) 結局自分達の保身しか考えていないのかと本気で呆れてしまった。それでも、ここが桃源郷の寺院の中心である以上、彼らと折り合いをつけて行かなければならないのも事実。三蔵は仕方がないとばかりにわざとらしいため息をついて見せた。 「その時はちゃんと俺が責任をもって処分するさ。てめぇらには迷惑をかけねぇ。もっとも、てめぇらがあいつにちょっかいを掛けた時は責任持てねぇがな」 だから余計な手出しをするなと言っておく。でなければ異端の存在であり悟空を厭うて追い出しに掛かるものも出てくるであろうと思ったのだ。 「他の連中にもそう言っておけ」 後は何も聞く気はないと三蔵は態度で示す。彼らに背を向けるとさっさとその場を後にしたのだった。 僧侶達に対する怒りを抱えたまま、三蔵は自室に帰る。しかし、その前まで来た瞬間、ある違和感を感じてしまった。それが何なのかを考えるまもなく答えは直ぐに見つかる。 「……寝たのか、あの馬鹿猿は……」 寺院に連れてくるまでの間、悟空が口を閉じていたのは食べ物で口の中が塞がっている時と寝ている時だけだった。しかし、異端の存在に対して嫌悪感を持っている僧達が悟空に対して山程の食事を与えるはずがない。となれば、選択肢は一つしかないという事であろう。 だが、この怒りを自分の内だけに収めているのも我慢できない三蔵は、それならそれでたたき起こすまでと考えながら三蔵はドアを開けた。 「……お帰り、三蔵……」 三蔵の予想に反して悟空は起きていた。部屋の隅で自分のひざを抱えたままうずくまっているのが三蔵の目に飛び込んでくる。 「何だ? 腹が減りすぎて動けなくなったのか?」 その姿に、さすがの三蔵でも八つ当たりをする気力を失ってしまった。仕方がねぇなぁという表情で悟空の側までよっていく。 「俺……本当に此処にいていいのか? 三蔵の迷惑にならない?」 三蔵の顔を見つめながら悟空がそう聞いて来た。その瞳の中に、微かに不安が揺らめいているのが三蔵には判った。 次の瞬間、三蔵の中で言いようのない怒りが沸き上がってくる。そしてその勢いのまま悟空の頭を殴りつけた。 「この馬鹿!」 「……三蔵?」 何で自分が殴られた挙句怒鳴りつけられなければならないのか、悟空の方には判らない。微かに涙が滲んだ瞳を再び三蔵に向ける。 「お前なぁ。俺は一度拾ったペットを面倒だからと放り出す趣味はねぇ! そう言う時は責任持ってちゃんと息の根を止めてやる。だから、そんな事を言うんじゃねぇ!!」 部屋の中はおろか、おそらく同じ宿坊内に響きわたったであろう三蔵の怒声に、悟空は一瞬目をまるくした。しかし、直ぐさま嬉しそうに笑って見せる。 「うん……俺がいらなくなったらちゃんと責任とって殺してよね」 そう言いながら悟空は三蔵の首にかじりついて来た。 「もう、独りぼっちで待っているのは嫌だから……」 三蔵の耳元で悟空はさらに言葉を続ける。それは間違いなく悟空の本音であろう。 一体どれだけの時間をあの冷たい岩牢で一人で過ごしていたのか。すべてをあきらめきった瞳で自分を見つめて来た悟空の表情を三蔵ははっきりと覚えていた。 その悟空に温もりを思い出させたのは間違いなく三蔵である。ならば、それを取り上げる時にはせめて悟空の望み道理にしてやろう。 「約束してやるよ」 三蔵は腕の中の小さな身体を抱きしめてやりながらそう口にした…… 終 |