「猿ならいねぇぞ」
 執務室に八戒が顔を見せた瞬間、三蔵はこう口にする。
「わかっています。街で会いましたから」
 三蔵に用が会ってきたんですよ、とそれに八戒は言葉を返す。
「街?」
 その瞬間、三蔵は思いきり眉を寄せた。その表情の裏には、悟空が街で見聞きしてきた話につき合わされるのか、とか、あれこれ買えと強請られるのかという思いが見え隠れしている。
「悟浄に『きちんと』面倒を見るように頼んできましたから……まぁ、心配するようなことは起きないと思いますけど?」
 他の心配がないわけではないが……と八戒は苦笑混じりに付け加えた。それが何をさしているか、三蔵にもしっかりと伝わってくる。
「まぁ、身の安全だけは保証されているか……」
 悟浄については知らぬと三蔵は付け加えた。
「で? 今日来た用事ってのは、何なんだ?」
 それ以上深くつっこむことなく、三蔵は話題を変える。
「この前頼まれたことなのですが……ちょっと、厄介なことになりそうなんです」
 その厄介事というのは悟空に知られたくないたぐいのことらしい……と言うことが、八戒の言葉から伝わってきた。だから、悟空を悟浄に押しつけてここに来たのだろう。
「話せ」
 それを理解した三蔵は、手にしていた書類を脇に押しやると、八戒の方へと向き直った。

 話が一通り終わり、さらに詳しいことを相談しようかとしたときだった。特徴のある足音が廊下の方から響いてくる。
「あの馬鹿猿……廊下は走るなって言ってるだろうに……」
 何でいつも忘れるんだ……と付け加えつつ、三蔵はハリセンを握りしめる。
「……足音が一人分ですよね……」
 様子がおかしいことに気がついたのは八戒の方だった。
「悟浄はどうしたんでしょうか」
 悟空が一人で帰ってくるわけがない、と言外に付け加える。八戒から押しつけられたとは言え、悟空を一人で帰すようなことをすれば、後々どのようなことになるか、身をもって知っているはずなのだ。
 それなのに、悟空が一人で帰ってきた。
「……何かあったのか?」
 それも、悟浄がらみで……と三蔵は呟きながら、とりあえずハリセンをしまう。
「本人に聞いてみればわかると思いますけど?」
 すぐに来るでしょうし、という八戒の言葉はもっともなものだった。そして、それに対し三蔵が何かを言うよりも早く執務室のドアが開かれる。
「八戒!」
 転がるように飛び込んできた悟空が、即座に彼の名を呼ぶ。
「どうしました?」
 そう聞き返す八戒の側で、無視された形になった三蔵がむっとした表情を作っていた。しかし、焦っているらしい悟空は彼の様子に気がつかないようだ。
「ちょっと、一緒に来てくれよ」
 でないと、血の雨が降るかもしれねぇ……と物騒なセリフを悟空は付け加える。
「悟空……ちょっと待ってください。状況がわからないのですが……」
 自分の腕を引っ張って今にも歩き出そうとする悟空を八戒がこう言って制した。
「でも、早く行かねぇと、悟浄が殺人犯になるか死体になるかのどっちかだって、パン屋のおじさんが言ってたぞ」
 しかし、悟空が言い返したセリフは思い切り物騒なものである。さすがの八戒も思わず言葉を失ってしまった。
「だったら、ちゃんと話せ。でねぇと、八戒でもどうすればいいのかわからねぇだろうが」
 何とか冷静さを保っていた三蔵が、脇から口を出す。
「……そうなのか?」
 急いで『八戒』を連れて行くことしか考えていなかったのだろう。悟空がきょとんとした表情で彼を見上げてくる。
「そうですね。僕も何をしなければいけないのかわからないと、フォローのしようがありませんから」
 だから、手早くでいいので説明をしてください……と付け加える八戒に、悟空はちょっと考え込んだ。どうやら、手早くと言われてどう言えばいいのか悩んでいるらしい。
「悟浄に何かあったんですよね?」
 そんな悟空のために八戒が助け船を出してやった。
「そう。何か、赤ちゃんをだっこした女の人と、ものすごく怖い顔をした男の人が悟浄を捕まえて『責任取れ!』とかって言ってたぞ」  悟空のこのセリフだけで、二人には悟浄の身の上に何が起きたのか、だいたいつかめてしまう。 「でも、悟浄は身に覚えがないとかって言ってたし……第一、男の人の話だと計算が合わないとか、血液型がどうのこうのって言ってた。だから、俺の子じゃないって……どういう意味かな?」  説明をしていて、改めて疑問がわいてきたのだろう。『八戒、意味がわかるか?』と悟空が彼を見上げてくる。
「で、刃傷沙汰になりそうだから、八戒を呼んで来い、って言われたんだ……」
 刃傷沙汰も意味がわからないんだけど……と悟空は付け加える。
 しかし、口に出された内容に、八戒はすぐに動くことができない。何重もの意味でどうしたものかと悩んでいたのだ。 「……河童はともかく、一般人にまで被害が出るのはまずいな」
 驚いたことに、三蔵の方が先に行動を起こす。
「三蔵?」
 その事実に、悟空だけではなく八戒も驚いたという表情を作る。
「河童の子供だ……という赤ん坊を見たいからな。ついでに河童の馬鹿面を見るのも気分転換には良さそうだ」
 そう言いながら、三蔵はさっさと歩き出す。遅れれば、何を言われるかわからないとばかりに、二人も彼の後を追った。
「……悟空、お豆の色の話は覚えていますか?」
 寺院を出たところで、不意に八戒がこう問いかけてくる。
「……えっと、あの遺伝子がどうのこうのって言うやつ?」
 何でいきなり……と思いつつも悟空は素直に覚えている事実を口にした。まるでパズルみたいでおもしろかったからしっかりと覚えていたのだ……と小さな声で付け加える。
「実はですね。人間の血液型……というのも同じなのですよ。と言っても、こちらは全部で設計図が六つしかありませんけどね。その中で、どうしてもでない組み合わせ……というのがあるのですよ。悟浄が言っているのはそのことだと思います」
 詳しいことは、後でゆっくりと教えてあげますね……と八戒は口にした。
「わかった。で、刃傷沙汰って言うのは何なんだ?」
 血液型も豆と同じなのか……と頷きながら、悟空はさらに問いかける。 「刃物を持って誰かを傷つけること……ですよ。この場合、悟浄とその男の人の間で……という意味でしょう」
 悟浄がけがをするだけならまだしも、止めに入った他の人がけがをしては大変だ……と八戒は本音を漏らす。もっともそれは八戒だけではなく三蔵も同じ思いらしい、と言うことは悟空にもわかっていた。
「でも、悟浄がけがしたら、看病するのは八戒じゃん」
 それって大変だろうと主張をする言葉の裏には過去の経験があることを八戒は知っている。悟空の場合、ベッドに寝かしつけておく方が大変なのだ。
「その代わり、街に出てあれこれ厄介事を引き起こすことはなくなるでしょう?」
 ベッドに縛り付けておけば、余計な手間が帰って省ける……と八戒は付け加える。
「そう言うもんなのか?」
「そう言うものです」
 きっぱりと言い切る八戒の口調に、三蔵が思わず吹き出してしまった。それに八戒はあえて気づかなかったことにする。三蔵にしても、その方がありがたいというのが本音だ。
 目的地まで後少しとなったのだろう。悟空の表情が変わってきた。
「えっと、あそこの角曲がったとこにいると思うけど……」
 移動をしているかもしれない……と言いながら悟空は小走りに走り出す。
 しかし、その悟空の心配は杞憂だった。彼らの目の前には野次馬の頭の上から覗く真紅の髪があった。
「だから、俺の子供じゃねぇって言っているだろうが!」
 同時に、悟浄のこんな叫びが彼らの耳に届く。
「……かなりに詰まってるな……」
「ですね……行ってきます」
 自爆されると厄介ですから……と付け加えると同時に、八戒は人混みの中へと分け入った。
「……赤ん坊を押しつけられた場合、結局世話をするのはあいつだからな……これ以上増えると大変だろう」
 ただでさえ大食らいの猿と浮かれエロ河童の面倒で大変だってぇのに……と呟く三蔵に、悟空が抗議の声を上げのは言うまでもないであろう。
 疲れ切ったような表情の悟浄を、三蔵がおもしろそうに見つめている。その隣で悟空はパン屋の店主から貰ったパンを美味そうに口にしていた。
「ったく……何で自分の子を人に押しつけようとするんだよ……」
 過去の経験からだろうか。悟浄は珍しいくらい本気で怒っている。
「あちらこちらで種まきをしているからだろうが」
 それだけ行いが悪ければ、誰だって考えるだろうと主張をする三蔵に、八戒だけではなく店の店主まで頷いて見せた。その事実に、悟浄は完全にむくれてしまう。
「そういや、八戒、どうやって追い払ったわけ?」
 ようやくおなかが満足したのだろう。悟空が八戒に声をかける。
「簡単ですよ。赤ちゃんの血液型がA型だったんです。で、お母さんがO型で、悟浄がB型。この組み合わせの場合、絶対A型の子供はできないんですよ。血液型の設計図にA型がありませんから。と言うことは、お父さんが絶対A型でなければいけないんです」
 だから、悟浄この子供ではないのだ、と八戒は悟空に教えた。
「……赤ん坊がO型だったらまずかっただろうがな」
 それ以前に、テメェに子供が作れるのかどうか……という問題があるが……と三蔵がさりげなく口にする。
 悟空がこのセリフを耳にしなかったのは、八戒がとっさに意識をそらしたからだ。とてもじゃないが、これに関しての質問に答えられないと判断しての行動である。
「……三蔵、テメェ!」
「それに関しては、後でゆっくりと話し合いましょうね、三蔵」
 悟浄と八戒がそれぞれこう呼びかけた。
 もちろん、三蔵がそれを気にするわけがない。
 その後、彼らがどのような話し合いをしたのかは、また別の話であろう。

ちゃんちゃん