「……悟空だけでしたらこれで十分だと思うのですが……三蔵にもと言うと、こちらもあった方がいいかもしれないですね……」 先日の三蔵のあの衝撃的な告白――と言っていいのだろうか――からようやく立ち直った八戒は、悟空と三蔵に正しい知識を与えるべく、資料を探していた。 悟空だけであれば、植物の受粉の話だけでいいのだろうが、三蔵があの内容を信じているとなるとそれでは逆効果であろう。だからといって、悟浄が持っているようなあれやこれやではあまりにもマニアックすぎて拒否反応を与えかねない。 「境界線の見極めが大変ですね、本当に……」 かといって嘘を教えたら、間違いなく銃の的になってしまうだろうし……と八戒は頭を悩ませる。 「本当にどうしましょうね」 そう言いながらも、八戒は取り出した本のページをぱらぱらとめくった。 「何がだ?」 いったいいつ帰ってきたのか。八戒の背後から悟浄の声が聞こえてきた。 ここでうかつな事を口にしてしまっては、喜々として悟浄が事態を引っかき回してくれるだろう。その後で間違った知識を修正するのはかなりの労力を必要とすることは目に見えていた。 「悟空に、遺伝子操作って何なのか……と聞かれましたのでね。言葉だけで説明するよりは何か資料とともに説明した方がいいと思うのですけど……なかなかいい資料がないなと思っただけです」 それとも、貴方が説明してくれますか……と付け加える八戒に、悟浄は本気で嫌そうな表情を作る。 「……お任せします……」 即座に悟浄はこう言い返してきた。ここでやめておけば悟浄も平和だったであろう。 「それ以前のことなら、いくらでも説明しますけどね。何なら、実地込みで……」 そこまで口にした瞬間、悟浄の顔面に熱々のお茶が入ったままの湯飲みが飛ぶ。 「んげっ!」 悟浄は何とかそれを避けることができた。 「何すんだよ!」 そして、こう抗議の声をあげる。 「その眉間に穴を開けられなかっただけ、ましだと思え!」 悟浄の視界に飛び込んできたのは、いつもより120%増しの渋面を作っている三蔵と、その脇できょとんとした表情を作っている悟空だった。 「……実地で何を教えてくれるんだ?」 このときほど、悟空の無邪気さとそれ以上に自分のうかつな一言を恨まずにはいられない悟浄である。下手な受け答えをすれば、今度こそ三蔵の銃の的になるだけではなく、にっこりと微笑みながら手のひらに気を集めている八戒の攻撃にさらされてしまうことは目に見えていた。 「……ほら、前に知りたいって言ってたろう。麻雀をだな」 ちょうど四人そろったことだし……と付け加える悟浄のシャツが汗で背中に張り付いている。その意味は悟空以外の三人にはしっかりとわかっていた。だが、八戒も三蔵もあえてその事実を指摘しない。 「麻雀? 教えてくれんのか?」 目をきらきらとさせながら悟空は悟浄を見つめている。引きつった笑いを口元に浮かべながら、悟浄が残りの二人を見つめれば、視線で否定されてしまった。 「後でな。今日は別の理由できたんだろう?」 俺、用事を思い出したし……と口にすると、わざとらしい勢いで悟浄は外へと飛び出していく。 「……つまんねぇの……」 せっかく教えてもらえると思ったのに……と悟空はあからさまに残念そうな表情を浮かべた。 「今日はそのために来たんじゃねぇだろうが」 三蔵が悟空の頭を小突きながらこう口にする。 「赤ちゃんの作り方が知りたかったのではないですか?」 それを聞きに来たのでしょう……と八戒に言われて、悟空はようやく今日の目的を思い出したようだった。 「そうだった。赤ちゃんって、どうしてできるんだ?」 興味津々という表情で悟空は八戒へとすがりつく。 「今説明してあげますよ」 だから、おとなしく座ってくれませんか……と八戒は付け加える。こう言われれば、根が素直な悟空は素直にいつもの席に腰を下ろす。さりげなく三蔵もその隣の席に座った。 「赤ちゃんの作り方ですが、基本的には人間も動物も植物も大きく変わりません」 そう言いながら、八戒はあらかじめ用意してあったらしい百合の花を取り出す。 「これが一番区別がわかりやすそうですので……悟空、これとこれが何かわかりますか?」 そう言いながら、八戒は花の中を指さした。 「何って……おしべとめしべだろ。おしべは触ると色が付いてとれなくなるし、めしべはべたべたしてるんだよな、百合って」 服について怒られたことがあると悟空は付け加える。 「それが種を作るのに重要な役目をしているのですよ」 八戒のこの言葉に、悟空は目を丸くする。 「だって、百合って球根とかムカゴとかで増えるんじゃねぇの?」 そしてこう言い返してきた。 「そちらの方が親と同じ花が咲くから……というのが理由ですね。それに、種の場合は必ずしも芽が出てくるとは限りませんし……でも、種がないと同じ場所でしか増えることができませんよね? それじゃ、困ると思いませんか?」 球根を運んでくれる鳥はいませんよ……と付け加えられて、悟空は納得というように頷いてみせる。 「で?」 めしべとおしべがどうしたって言うんだ……というように三蔵がさらなる説明を促した。 「悟空がおしべに触ると色が付くと言いましたよね。それが花粉と言います。この中に、百合の設計図が半分あると思ってください。花粉ががめしべの先に付くと受粉という状態になります。そうすると、めしべの中にあるもう半分の設計図と合わさって、『百合』の正しい設計図ができるわけです。種の中にはそれが収まっているわけです」 ここまではいいですか? と八戒が確認のために問いかければ、 「えっと……花粉の中とめしべの中に設計図が半分ずつあって、それが合わさって設計図が完成するんだよな……って事は、他の花から設計図を貰うこともあるわけ?」 だから、違う花が咲いたりするんだろう……と悟空は八戒に確認を求めてくる。 「そう言うことです。ただ、設計図は同じ仲間同士でしか交換できないので、百合とバラが混ざることはないのですよ」 悟空の飲み込みの良さに微笑みながら、八戒はさりげなく三蔵へと視線を向けた。すると、いつもとは変わらない表情を作っているのがわかる。どうやらここまでは彼にとっても知識の範囲内だったのかもしれない……と八戒は心の中でつぶやいた。 「動物でも同じですよ。ただ、植物と違うのは雄と雌が完全に分離していると言うことですね」 植物でも、一部は雄雌の区別がありますが……と付け加える。 「……えっと……イチョウとかキウイがそうなんだっけ?」 前に聞いたことがあったような気はするといいながら、悟空は三蔵へと視線を向けた。 「そう言う話だったな」 悟空にそれを教えたのは自分だったな、と思いながら、三蔵は頷いてみせる。 「悟空はよく知っていますね。えぇ、そうですよ」 八戒はさらに微笑みを深めながら、言葉を続けた。 「動物の場合ですが、魚の仲間は雌が生んだ卵に押すが精子をかけることで子供を作ります。犬や猫、鳥の仲間ですと、雌の体内に雄の精子が入ることで受精――赤ちゃんができることですね――します。それが卵として生まれるか、それともお母さんのおなかの中で大きくなるかは生き物の種類で決まるわけです」 言葉とともに、八戒は事前に選んでおいた図鑑の、該当ページを開く。そこには受精した卵子がどう成長していくかがイラストで描かれている。同じものが写真で説明されている本もあったが、さすがにそれでは刺激が強すぎるだろうと判断したのだ。 「……どうやってお母さんのおなかの中に入れるんだ?」 次に悟空の口から出たのは、八戒が当然予想していた疑問である。 「だから、雄にはおチンチンがあるんですよ」 雌には、ちゃんとそれがはいる場所があるわけです、と八戒はさりげない口調で付け加えた。 「……って事は、人間もそうなわけ?」 人間にもあるし……と言う悟空の察しの良さに、八戒は微笑みながら頷く。 「えぇ。だから、街に行くとたまにおなかが大きな女の人がいますよね。あのおなかの中に赤ちゃんがいるわけなんです」 で、ちゃんと自分だけで生きていけるようになったところで、安全なお母さんのおなかの中から生まれてくるのですよ……と八戒が説明した瞬間だった。 「三蔵?」 三蔵の様子がおかしいことに気がついた悟空がこう問いかける。しかし、それに対する答えはない……どころか三蔵はそのままテーブルに突っ伏してしまった。 「……刺激が強すぎましたか……」 でも、悟空は平気だったんですけどねぇ……と苦笑を浮かべつつ、八戒は腰を上げる。 「まぁ、悟浄がこの場にいないだけでもよかったと言うことにしておきましょう」 そして、完全に思考停止をしてしまったらしい三蔵の介抱を始めたのだった。 三蔵がこの衝撃から抜け出すのに数日かかったことは言うまでもないだろう。 ちゃんちゃん
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