「三蔵……」
 こう言いながら、悟空が三蔵の脇に歩み寄ってくる。こう言うときは、何か聞きたいことがあるのだろう、と三蔵は経験上知っていた。だから、なんだ、と言うように視線で聞き返す。
「あのさ……クルシミマスって知ってるか? 辞典見たんだけど、書いてねぇんだ」
 一応、自分で調べる努力はしたのだ、と悟空は主張をする。
「……クルシミマス? なんだ、それは」
 クリスマス、なら知っているがな……と三蔵は付け加えた。
「俺だって、それなら知ってるぞ」
 もっとも、名前だけだが……と悟空は言い返す。いくら三蔵でも、他宗教の行事を寺院内で行うようなことはするつもりがないらしい。だから、実際にどのようなことをするのはまでは知らないが……と心の中で付け加える。
「……でも、あのケーキは旨そうだよな……」
 街で見かけた……と悟空は小さな声で呟く。
「……で? 誰からそんな言葉を聞いてきたんだ?」
 その呟きが聞こえていないわけではないだろう。だが、綺麗に無視をして三蔵は悟空に聞き返してくる。
「誰って……悟浄……この前、一緒に街に出たらさ、『そういや、クルシミマスのシーズンだな』って。クリスマスじゃないのか、って言い返したら、『それがわからないうちはオコサマだよな』って言われたんだよな。俺、悟浄に言われるほどオコサマじゃねぇし……」
 だから、その意味を知りたいのだ、と悟空は主張をした。
(……全く、あのバ河童は……)
 どうして、ろくでもないことを悟空に教えてくれるのか……と三蔵は自分を棚に上げて考えてしまう。
 どうやら、悟空は言葉の意味を知るまで諦めるつもりはないようだ。
「……俺が、耶蘇のことを知っていると思うか?」
 知らないことがある、と言う事実を悟空に告げるのは癪だが、こうなれば、早々に誰かに押しつけてしまうのがいいだろう。
 三蔵はそう判断をして言葉を口にする。
「耶蘇?」
「……キリスト教のことだ。酒を般若湯というのと同じような使い方だと思えばいい」
 正確に言えば違うのだが、それを説明すれば悟空の理解力の範囲を超えてしまうだろう。
「だから、八戒にでも聞いてこい。あいつはそっちの教育を受けてきたはずだ」
 信じているかどうかは知らないが……と三蔵は付け加える。
「うん、わかった」
 そうする、と悟空は素直に頷いた。
「じゃ、今から行ってきていいか?」
 だが、次に出たセリフが、いかにも彼らしいと言えば彼らしいだろう。
「……もうじき、暗くなるじゃねぇか……」
「だからさ。ついでにお泊まりしてきていい?」
 そうすれば八戒に飯を食わせてもらえるかもしれねぇ、と悟空は付け加える。寺院の飯に飽きてきたから……と言うセリフには三蔵も苦笑を浮かべてしまう。
「なら、ついて行ってやるよ」
 テメェを一人で行かせるよりはマシだろう……と言いながらも、実は三蔵自身そう思っていたことは否定しない。
(たまには、精進料理以外のものも喰いてぇしな)
 そのためなら、多少の出費は厭わない、とまで思ってしまう。
「マジ?」
「マジだ。だから、後……そうだな15分待て」
 そうすれば全ての仕事を終わらせられるはずだ……という三蔵のセリフに感心するべきなのかなんなのか。それを知るものは誰もいなかった。

「……クルシミマス、ですか?」
 大量の食材と共に現れた二人を、八戒は笑顔で迎えてくれる。だが、次の瞬間悟空の口から飛び出したセリフには眉を寄せてしまう。
「そう! しらねぇ?」
 三蔵もしらねぇって言っていたし……と付け加える悟空に、八戒は苦笑を深めた。
「いえ……まったく知らないと言うわけではないのですが……ただ、悟空が考えているものと意味が違うのではないか、と思いまして……」
 だから、ちょっと悩んでしまったのだ、と八戒は言い返した。
「どういう事?」
 八戒の言葉に悟空が小首をかしげる。
「今の時期ですと……学校に行っている子供達は先生方から通知票を貰う時期ですからね。それを書く先生の方が大変忙しいわけです――だから、師走……というわけではないのでしょうけど――それで、その時期のことを冗談めかして『クルシミマス』と言っているんですよ、彼らは」
 そのせいで恋人に振られたらしい方もいるようですし……といいながら八戒は二人をリビングへと案内した。そこには、当然のごとくこの家の本来の主の姿はない。
「……エロ河童は相変わらずか?」
 呆れたように三蔵が言えば、八戒の口元の苦笑が深まる。
「まぁ、クリスマス前ですからねぇ……あの人も、プレゼントをあげなければならない相手が大勢いるようですから」
 と、ここまで口にしたときだった。八戒はあることに気がついたという表情を作る。
「ひょっとしたら、そのことかもしれませんね」
 そしてこう呟く。
「八戒?」
「プレゼントぐらい、どうって事ないだろうが、あいつの稼ぎなら……」
 進められるままにソファーに腰を下ろしながら二人はこう問いかける。
「稼いできた分を、僕が巻き上げていますからねぇ……生活費を入れてくれないし……それに、クリスマスから三が日が過ぎるまで、悟空をお預かりしようかと思っていますし」
 忙しいでしょう、三蔵……と八戒は微笑む。
「確かに預かって貰った方が気は楽だが……」
 寺院の連中がな……と三蔵は冷笑を浮かべた。悟空が人前に出る心配がないからな……と。
「ジジィも俺も、かまっていられないだろうし……だが、こいつの食欲は尋常じゃねぇぞ」
「だから、悟浄から巻き上げているんですよ」
 にっこりと笑いながら八戒が説明をし始めた。
「今まで立て替えてきた分の利子も含めてね」
 それって暴利なのか、それとも……と三蔵は悩む。が、悟空は悟空で、他のことで悩んでいるらしい。
「あのさ……」
 悩むよりも聞いた方がまし……とでも思ったのだろうか。悟空が口を開いた。
「はい?」
 なんですか? と翡翠の瞳が悟空へと向けられる。
「最初のお泊まりって……やっぱり、物置の中なわけ? ンでもって、そっからでると怒られるんだろう……」
 違うのか、と聞く悟空が口にした言葉に、八戒は唖然としてしまう。
「悟空?」
 一体誰がそんな適当なことを教えたのか……と問いかける前に八戒にはその答えがわかったようだ。
「三蔵? それについて、後でじっくりとお話しさせてくださいね」
 にっこりと微笑む八戒を三蔵は平然と受け流す。このあたり、さすがだと言うべきなのかどうか。
「八戒?」
 自分は何か失敗をしたのだろうか……と、悟空が瞳に不安を滲ませている。
「ですからね、悟空……悟浄にはプレゼントをしなければならない人はたくさんいるのに、お金がないから苦しみます……というだじゃれなんですよ」
 悟空が聞きたいと思っていた答えを八戒は告げた。
「ですからね。悟空が覚える必要はないことなんです」
 気にしなくていいですよ……と言いながら八戒は立ち上がる。
「ところで、今晩は何を食べたいですか? 悟空は好きなものを作ってあげますよ」
 そしてこう言えば、悟空は意識を切り替えたようだ。あるいは、八戒だけではなく三蔵も怒っていない、と言うことをわかったからからかもしれない。
「んっとね……お魚とかなんかがは言ったあのスープ好きなんだけど……なんて言ったっけ?」
「ブイヤベースのことですか? あれはちょっと時間がかかるので、今度お泊まりの時に作ってあげますよ。ついでに、パエリアも」
 その方がおいしいですし……と言えば、悟空も諦めたらしい。
「じゃ……ハンバーグは?」
 いつも作って貰っているけど、と悟空が付け加えれば
「それならすぐにでも作ってあげますよ」
 微笑みを深めながら八戒は頷き返す。そして、そのままキッチンの方へと向かった。
「そうそう……今日は泊まっていってくださいね、二人とも」
 この言葉に悟空はどうしようかというように三蔵へと視線を向ける。そうすれば、八戒もまた彼へと視線を向けてきた。その瞳の奧に剣呑なものが見え隠れしていたのは三蔵の気のせいではないだろう。
「……じっくりとお話ししましょう、三蔵。悟空が寝てから」
 さらに笑みを深めながら言葉を口にする八戒の言葉は、三蔵ですら逆らうことをためらわせるものだ。
「……勝手にしろ……」
 ため息と共に三蔵がこう吐き出す。
「やったぁ!」
 悟空が喜びの声を上げる隣で三蔵は盛大にため息をついていた。

 夜明け前。
 まさしくこっそりと悟浄が帰ってきた。
「……いくらなんでも、この時間までは起きてねぇよな?」
 今日も金を巻き上げられてはたまらない……と呟きながら、悟浄は外から自分の部屋へと移動をしようとする。しかし、その足がしっかりと止まってしまう。
「……マジ?」
 リビングに皓々と灯りがついているのだ。
 一体どうしてこんな時間に……と思いながら、悟浄はこっそりと家の中を覗き込む。
「何してんだ、あいつら……」
 げんなりとした三蔵と、はっきり言って怖いとしか言いようがない笑顔を浮かべている八戒に、悟浄はそのまま後ずさる。
「……今日は、金払ってでも街にいた方がいいかもしれねぇな」
 誰か知り合いのところでベッドを借りるか、と呟きながら、悟浄は今来た道を戻っていく。それが一番安全な方法だと、本人も知らなかっただろう。だが、間違いなくとばっちりから逃れられたのは事実だった。

「だから、あの時点で、寺院の馬鹿共に猿のことを知られるわけにはいかなかったんだって言っているだろうが!」
 なんせ、猿だからな……と三蔵が疲れ切った口調で言い返す。
「そこまでは妥協しますけどね。だからといって、鎖と外出禁止というのは許せません!」
 だが、八戒はきっぱりと言い切る。
「じゃ、あいつがそうそうに処分されても良かったのか?」
「誰もそう言っていないじゃありませんか!」
 二人の言い争いは、悟空が起きてくるまで続いたのだった。


ちゃんちゃん