「八戒、八戒!」
 いつものように彼の名を叫びながら悟空が駆け込んできた。
 本来、ここは彼の家ではない。だが、家主よりも八戒の方がここにいる確率が高いのだからしかたがないだろう、というのが悟空の主張だ。
 それに関して、八戒だけではなく三蔵までもが納得をしてしまったのだから、悟浄には反論のしようがないというのが現状である。八戒のようにおとなしく家にこもっていられる性格ではないし、生活費を稼がなければいけないというもっともらしい理由もあった。三蔵が回して寄越す仕事は確かに稼ぎはいいが、それ以上にハードなのだ。
 閑話休題。
「どうしました?」
 こういう行動を取ったときの悟空は何か聞きたいことがあるときだ、と言うことを八戒は熟知している。いつものように微笑みながら水を向けてやれば、
「なぁ、焼き餅って美味いのか?」  といつもの無邪気な口調で問いかけてくる。
「……悟空?」
「悟浄がさ、言ってたんだ。焼き餅を焼いてるなんて可愛いよなって……でも、お餅焼いている人なんていなかったんだよな。だから、違う料理なのかと思って」
 だったら喰ってみたい、と悟空は付け加える。
 それに八戒はどう答えようかと悩んでしまう。
 焼き餅が『料理』でないことを教えるのは簡単だ。しかし、悟空がどうしてそんなセリフを口にしたのか理解できないと誤解の解きようがないのではないかとも思う。
(まさか三蔵が言うわけありませんしね)
 となると、残る可能性は一つしかない。
 というか、はじめからそれしかないと思っていたこともまた事実だ。
(……本当にあの人は……)
 しかし、いったいどこでそんなことを悟空に教えたのか。夕べから帰ってこない相手に向かって、八戒は心の中で罵詈雑言の嵐を送る。
「それとも、八戒、知らねぇとか?」
 彼に限ってそんなことはないだろうと思いつつも悟空はこう問いかけてしまう。
「ちゃんと知っていますよ、もちろん」
 にっこりと微笑みながら、いつも口にするのと同じセリフを八戒は口にした。
「ただ、悟空がどこからそんな言葉を覚えてきたのか、ちょっと気にかかっただけです」
 教えてくれますか? と問いかけられて悟空は素直に頷く。
「その前に腰を下ろしましょう。おいしいクッキーもありますから、お茶も淹れてあげましょうね」
 さらに笑みを深めながら口にされた言葉を悟空が拒むわけがない。嬉しそうな表情で彼は八戒の腰に抱きついた。
 それでは準備できませんよ、と笑いながら八戒は悟空の頭を撫でてやる。
 その態勢のままお茶の準備をした彼らが腰を下ろしたのは、実のところ、それから10分と経たない時間だった。
「さっきさ。街で悟浄を見かけたんだよな」
 早速クッキーを口に頬張りながら悟空が言葉を口にし始める。
「そしたらさ。悟浄を挟んで女の人たちが何かケンカしてたみたいで……それを身てたおっちゃんが『女の子が焼き餅焼いてるのは可愛いよな』って言ってたから」
 悟浄に喰わせるのかなって思っただけだ……と悟空は付け加える。
「……あの人は……特定の相手がいないことは知っていましたが……二股三股もしていたのですか……」
 しかも、人前で修羅場を……と八戒は呟く。
 おかげで悟空がいらぬ誤解をしたでしょうと付け加える彼の周囲には黒い物が漂い始めている。
「……八戒?」
 その異常さに悟空は思わず身をすくめてしまう。
「あぁ、何でもありません。悟浄に文句を言わないとと思っただけですよ。おとといから帰ってこないので。それなのに、街でそんなことをしていたと聞けば怒りたくもなりますよ」
 違いますか、と言われて、悟空は悩む。だが、確かに行く先を告げずに遊び歩いているとするなら、悟浄の方が悪いのだろうと納得をする。
「そうだよな。勝手に遊びに行くのはだめなんだよな」
 三蔵も言ってたし……という悟空の言葉の意味は違っているだろう。だが、それを八戒は指摘をしない。
「そうです。悟空はそんなことしませんよね?」
 今まで身にまとっていた雰囲気を消して八戒は微笑む。
「……三蔵が忙しいときは……勝手に遊びに来ているけど……」
 それも駄目なんだよな……と悟空は小さく首をすくめた。
「あぁ、それはいいんです。ちゃんとメモを残してきているのでしょう?」
 前に教えたとおりに、と問いかければ悟空は素直に頷いてみせる。
「悟浄はそれもしないんです。だから、怒られるわけですね。悟空の場合はちゃんと三蔵にどこに行くかを教えているわけだから怒られないんですよ」
 直接でなくてもいいのだから、と付け加えればようやく悟空はほっとしたような表情を作った。
「それと『焼き餅』ですけど、残念がながら食べ物じゃないんです」
 さらりと八戒は悟空の質問の答えを口にする。その瞬間、悟空が思いきり残念そうな表情を作った。
「焼き餅というのは……そうですね。悟空が三蔵にべたべたしている人を見てむかむかするときの気持ちに名前を付けたものです。悟浄はそれを女の子にさせて喜んでいるんですよ」
 ますます許せませんね、と嗤う八戒はめちゃめちゃ怖い……と悟空は思ってしまう。だが、自分の疑問の答えを教えてくれたのだから文句は言えないだろう。
「と言うわけで、お仕置きしないといけないでしょうね」
 協力してくれますか? と言われて、悟空は素直に頷く。
「人の気持ちを弄ぶのは一番悪いことなんだよな」
 以前三蔵に聞いた言葉を悟空は口にした。
「そうです。しばらくそんなことが出来ないようにしないといけませんね」
 さて、どうしてくれましょう……と八戒は呟く。そんな彼の様子を見て、自分が悟浄の立場にならなくて良かった……と悟空は本気で思ったのだった。

 後日、三蔵も巻き込んでのお仕置きが行われたのだが、それはまた別の話と言うことで……


ちゃんちゃん