「八戒、八戒!」
 こう叫びながら、買い出しに行っていた悟空が部屋の中に駆け込んでくる。
 ある意味、特殊な生育歴を持っている彼は八戒達がごく当たり前の知識だと思っていることも知らない場合があるのだ。それを教えるのも、年長者の役目だろうと八戒は考えていた。
(第一、彼らにその役目を振るわけには生きませんしね)
 三蔵は最近完全に八戒にその役目を押しつけつつあるし、悟浄はとんでもない大嘘を教える可能性があるのだ。
「何ですか?」
 きっと、また何か聞きたいことができたのだろうと、八戒は微笑みながら聞き返した。
「あのさ……『受け』とか『攻め』って何のことなんだ?」
 だが、これはないだろうと八戒は心の中で呟く。どうやら、同じ部屋でそれぞれのことに熱中していた二人も同じ思いだったらしい。だが、悟空は眼をきらきらさせながら答えを待っている。
「……それ、どこで聞いてきたのですか?」
 ともかく、情報を集めなければ……と八戒は逆に悟空に問いかけた。自分が予想しているものと違う内容である可能性も捨てきれないのだ。
「んっと……下の酒場にいたねぇちゃん達が、三蔵と悟浄のことをどっちがどっちかって言って盛り上がっていた」
 しかし、その願いはあっさりと費えてしまう。
「……下にいるねぇちゃん達って……」
「ひょっとして、あれか」
 話題に出された二人が、嫌そうに顔を見合わせると言葉を口にした。悟空を買い出しに行かせてからからんできた女がそんな話をしていたことを思い出したのだ。
「……何で俺がお前とカップルにならなあかんのよ……俺は女の方が好きだぞ」
「俺だって、テメェなんぞとんな関係だと誤解されただけで鳥肌が立つわ」
悟浄の言葉に、三蔵も負けじと言い返す。
「第一、俺は自分より体のでかい奴をどうこうする趣味はねぇ!」
 このセリフに、悟浄の視線が剣呑なものに変化した。
「何で俺がされる側なんだよ! 俺だって万が一という状況ならする方がいいに決まってるだろうが!」
 そして、こう怒鳴り返す。
「テメェの方が年下だろう」
 三蔵は理由になってないセリフを口にした。それが悟浄の怒りに火を注いだのは言うまでもないであろう。
「そういう問題じゃねぇだろう! 上手い奴がやらねぇと、後々悲惨なんだぞ!」
 だんだん、悟空に聞かせるとまずい方向へと話が進んで行っていると八戒は判断した。
「本当に仕方がない人たちですね」
 あくまでも穏やかに微笑んでいるのに、彼の掌にはしっかり時が集められていることに悟空は気がついてしまう。
「八戒……」
 何をするんだ……と悟空が問いかけるよりも早く、八戒の掌からそれが三蔵達めがけて飛び出す。
 ねらいを違うことなく、それは二人の中心を通り抜ける。
 その衝撃のせいだろうか。
 三蔵と悟浄はあっさりと戦意を喪失した――と言うよりは、八戒の怒りをかき立てないようにしようと判断したのかもしれない。
「さて、外野は静かになりましたし……話の続きをしましょうか」
 優しい口調でこう言われても、悟空の方が困ってしまう。だが、三蔵と悟浄のセリフの意味がわからないのもの何か気に入らないと思ってしまうのは事実だ。
「受けと攻め……の話でしたよね?」
 八戒の問いかけに、悟空は首を縦に振る。
「三蔵達の話から、少しだけわかったような気もするんだけどさ。間違ってたら、ぜってぇ、悟浄に馬鹿にされるような気がする」
 そしてこう訴えた。その予想は当たっているだろうと八戒も思う。
「本当にあの人は……」
 それさえなければ、無条件でいい奴だと言えるのだが……と八戒はため息をつく。しかし、今から悟浄の性格を矯正するのは至難の業だろう。ならば、逆に彼がつけいる隙を悟空に作らせない方がいいのではないか、と思い直した。
「二人の会話から想像付いているとおり、男同士でそういうことをするときに、どちらがどちらの役をするか……という意味の単語です。もっとも、これは女の子達が好んで使う言葉で、別の言い方もあります」
 まぁ、それ以上は覚えなくてもいいでしょうね、と八戒は苦笑を浮かべながら付け加える。
「……男同士でもできんのか?」
「らしいですけど……まぁ、やり方までは必要ないでしょう?」
 悟空の中に新たに生まれかけた疑問を、八戒は笑顔でたたきつぶす。そんなことまで悟空の知識として与えるのはまだ早いだろうし、自分も三蔵に殺されたくない。
「それにね。そういう話をするととてもいやがる人がいますしね」
 そういいながら、八戒は悟浄を指さした。悟空が視線を向ければ、確かに鳥肌を立てて固まっている悟浄の姿が見える。実のところ、悟浄がそんな状況になったのは別の理由からなのだが、幸い悟空はそのことに気がついていない。
「わかった。でも、何かあったら教えてくれるんだよな?」
 悟空のその言葉に、八戒は笑顔で頷く。
「もちろんです。まぁ、僕たちが一緒にいる間はそんな状況にはならないと思いますけどね。万が一の時にはちゃんと対処法を教えてあげますから」
 そうならないように他の二人共々気をつければいいだけのことなのだ、と八戒は心の中で付け加える。
「と言うわけで、そろそろおやつを食べに行きませんか?」
 そして、悟空の意識をすり替えるためにこう問いかけた。食べることとなれば、悟空が無条件で同意をするとわかっていてのセリフである。
「うん!」
 予想通り、悟空はあっさりと八戒の誘いに乗ってしまった。もう何度目になるかわからない手段だが、未だに有効なのは、悟空が八戒達が本心から好意で言ってくれていると思っているからだろう。
(本当、可愛いですよね)
 八戒はほんのわずかだけ残っている良心に痛みを感じてしまった。だが、それを表に出すようなことはしない。
「と言うわけですので、出かけてきます」
 にっこりと微笑みながら告げる彼に、三蔵達は思わず頷いてしまった。
「……何で、俺ら、置いてかれるわけ?」
 二人の姿がドアの向こうに消えてからしばらくして、ふっと悟浄がこう呟く。
 ようやく、まんまと自分たちが八戒の思惑にの世羅得てしまったらしいと三蔵も気がついた。
「知るか!」
 少なくとも、自分たちが後始末をしなければならないことだけはわかっているが、それを認めてしまうのも癪というものである。三蔵は眉間のしわをさらに深めながら、たばこを口にくわえたのだった。

ちゃんちゃん