ヴェーダの中で
01
目の前にあるデーターをどうしようか。
それを見つめながら、ティエリアは考え込んでしまった。
そのデーターの中身は、個人のパーソナルデーターだ。これが、リボンズをはじめとしたイノベーターのものであれば、無条件で消去するだけだ。
だが、これは違う。
「ニール・ディランディ……」
自分にとっても刹那にとっても大切だった――いや、今でも大切な存在のそれ、だ。
そっとそれの中身に触れてみる。そうすれば、彼がCBに入る以前、まだ幼かった頃からのそれが記録されているのがわかった。
ひょっとしたら、これを使って彼を復活させることが出来るのではないか。
幸か不幸か、彼と同一の遺伝子は存在している。それを使えば、理論的には可能だ。
でも、とそれは本当に自分たちが知っている《ロックオン・ストラトス》なのだろうか。
「……刹那と仲違いするのは避けたい……」
お互いに、彼の存在を欲している。だが、それ以上に心配なのは、刹那が自分に遠慮をして姿を消してしまうことかもしれない。
「とりあえず……しばらくは隠しておこう」
この場にいるのは、自分の他に三人。
そのうちの一人に関しては問題はないだろう。多少おもしろがるかもしれないが、決してそれでイタズラをしようとは思わないはずだ。
問題なのは、もう一人の方。
「特に、リジュネにだけは見つからないようにしないと」
何をしでかすかわからない、とそう呟いたときだ。
「何を見つからないようにしなければいけないの?」
とりあえず、無難――と言ってはいけないのだろうか――だと認定されているもう一人、アニュー・リターナーが声をかけてきた。
「そのデーター?」
さらにこう言葉を重ねてくる。
「……とりあえず、君には関係のないデーターだ」
こう言いながら、さりげなく彼女の視線からそれを移動させようとした。それよりも早く、彼女の手がデーターに触れる。
「ニール・ディランディ?」
中を確認して、少しだけ驚いたような表情を彼女は作った。
「ライルのお兄さん?」
「……あぁ」
見られてはごまかすわけにはいかない。だから、とティエリアはとりあえず頷いて見せた。
「どうして、これをリジュネから隠さなければいけないの?」
別に困らないのではないか。彼女はそう問いかけてくる。
「……その結果、刹那が困る……」
だけならば、まだしも……とティエリアはため息をつく。
「今、刹那とライルは仲がいいからな」
「……ライルとくっつくかもしれないって?」
それはいやだわ、とアニューが即座に言い返してくる。
「私がどのような結果になっても受け入れられるようになるまで、放っておきたい。そう思っただけだ」
だが、彼はそんな状況を面白いと言い出しかねない。だから、とティエリアは力説をする。
「そういうことなら、協力をするわ」
アニューもまた頷いてみせる。こうして、二人の間に、ある意味協定が結ばれた。
しかし、その光景をしっかりとリジュネが見ていたとは思ってもいなかった。
「その時は、僕が彼を慰めて上げればいいだけなのに」
顔だけなら、ティエリアと同じだ。それに、自分は《純粋種》に興味がある。彼を大切にすることに異存はない。そう呟いて、リジュネは笑いを漏らした。
何故か、体が震えた。
「刹那、風邪か」
それに気がついたのだろう。ライルがこう問いかけてくる。
「わからない」
無理はしていないつもりだ、といつもの口調で言い返す。
「気をつけろよ。お前さんが俺たちのリーダーなんだから」
だが、彼はそれを信用していないのか。こう言いながら手袋を外すと刹那の額にそっと触れてくる。その仕草が彼の兄とそっくりだ、と少しだけ哀しくなった。
もっとも、それを表情に出すことはしなかったが……
02
ヴェーダをティエリアに掌握されてしまった以上、自分たちは隠れて過ごすしかない。
それは、負けた以上当然のことだろうか。
「……僕が、最上位種だったのに……」
それなのに、今は消されないようにこうして隅っこに隠れていなければいけない。その事実が思い切り納得できない。
「しかたがないわよ、リボンズ」
ため息とともにヒリングがこう言い返してくる。
「あたしたち、負けたんだもん」
それは否定できない事実だ。でも、とまたため息をつく。
「彼も含めて、僕が生み出したようなものなのに」
飼い犬に手を噛まれるというのは、このような状況を言うのだろうか。さらにこんなセリフまで口にしてしまった。
「……それはちょっと違うのではないか?」
リヴァイヴがため息とともにこう言ってくる。
「アニューとリジュネに関してはそうかもしれないが……ティエリア・アーデは最初から我々の一員ではなかった」
ヴェーダとリンクはしていたが、自分たちのように《優良種》であるという認識はなかったのではないか。
「……ひょっとしたら、ヴェーダから切り離されちゃったせいではじけちゃったとか?」
どこか楽しげにヒリングが告げる。
「……リジュネはともかく、ティエリアにとってはあの《刹那・F・セイエイ》は特別な存在のようだし」
人間のままであれば問題外だが、彼は純粋種だから……とヒリングはさらに笑みを深めた。
「いっそのこと、ティエリアから取り上げちゃったら面白いかもね」
彼を、とそのまま告げる。
「その役目、あたしがやってもいいけど?」
さらに言葉を重ねた。
「その必要はないよ」
リボンズはこう言って微笑み返す。
「彼に進化のきっかけを与えたのは僕だからね」
それに、と彼は続ける。
「僕と彼、似合いだとは思わないか?」
くすくすと笑いながらそう問いかけた。
「それなら……」
「大丈夫。僕は狭量ではないからね。手に入れた後なら、貸し出してあげるよ」
君は自分にとって可愛い分身だからね……と微笑みかける。
「だから、手伝ってくれるよね?」
「もちろんよ」
即座に返された言葉に、満足そうに頷いて見せた。
「では、そのための情報収集をしようか」
もっとも、連中に見つからないようにしなければいけないが。そう考えれば忌々しい。
しかし、それも彼を手に入れるまでのことだ。
「待っているがいい。刹那・F・セイエイ」
こう呟くと、リボンズはうっとりとしたように微笑んだ。
先日のそれよりも強い悪寒を感じてしまう。
「刹那?」
ただ二人のマイスターという関係だからだろうか。気がつけば一緒にいることが多いライルがこう問いかけてくる。
「わからない……」
そもそも、その原因なんて思い浮かばないのだ。それとも、と刹那は顔をしかめる。
「……体調を崩したか?」
だとするならば、直ぐに治さなければ……と呟いた。しかし、どうすればいいのか教えてくれるものはいない。以前はティエリアやアニューが受け持っていてくれたが、二人の存在は今自分たちと共にはないのだ。
「こう言うときに、医師がいないって言うのもな」
やっぱ、探すか……とライルも口にする。
「ともかく、お前さんはねていろって」
現状であれば、自分一人でも大丈夫だ。いざとなったら、アレルヤを拉致りに行くし……と彼はさらに笑みを深めた。
「それとも、一人じゃ眠れないとか?」
なら、添い寝のサービスを……と口にした彼の頭を、刹那は遠慮なく殴りつける。
「……刹那……」
「一人で眠れる!」
この言葉とともに自室に向かって歩き出す。
同時に、刹那は自分の頬が熱くなっていくのを感じていた。
03
ニール・ディランディのパーソナルデーターをしっかりと抱きかかえたまま、今日もティエリアは世界の情勢をヴェーダの中から見つめていた。
今のところ――かなり危険ははらんでいるものの――大きな動きはないようだ。それはすなわち、刹那達が動く必要がないと言うことでもある。
「とりあえず、良かった……と言うべきか?」
人類はまだ、そこまで愚かではない。
その事実に小さく胸をなで下ろす。
今日の所は、この程度でいいだろう。そう思った瞬間、何故か、仲間達が恋しくなってしまう。
「刹那達は……」
元気でいるだろうか。
こう呟きながら、視点を切り替える。
「……!」
次の瞬間、ティエリアは視界の中に飛び込んできた光景に絶句してしまった。
いったい何故、こんなことになっているのだろう。
「……もし、強引にそんなことをしていたら……万死に値する……」
と言うか、自分が駆逐してやる……と思わず呟いてしまう。
「いくらなんでも、それはないと思いたいわね」
一体どこからわいてきたのか。そういいたくなるようなタイミングでアニューが声をかけてくる。
「第一、二人ともアンダーは着たままよ?」
そういうことをするとき、ライルは直接肌に触れる方が好きなんだけど……と彼女は平然と続けた。これはいわゆる《惚気》と言う奴なのだろうか。
「……だが……」
その気になれば、行為だけなら服を乱しただけで出来る。そう言い返そうとしてやめた。
いくらなんでも、それでは刹那に失礼だろう。
ならば、どうしてこのような状況になっているのか。
「この前に何があったのか、確認すればいいのではないの?」
プトレマイオスのセキュリティに侵入することぐらい可能でしょう? とアニューは問いかけてくる。
「確かに、そこになら映像は残っているか」
見たくない映像でなければそれでいい。そう心の中で呟きかけて、直ぐに考えを改めた。
刹那なら、どんな姿でも見ていたいと思う自分がいることに気付いてしまったのだ。ついでに、見た目だけならばデュランディ兄弟は区別がつかない。だから、妥協できるかもしれない。
もっとも、アニューも同じかどうかはわからないが。
そんなことを考えながら、勝手知ったるプトレマイオスのセキュリティに侵入をした。そのまま、目的の映像を探す。
「……スメラギ・李・ノリエガ……」
その結果出てきたのは、ある意味、予想してしかるべき光景だった。
アルコールになれていない刹那は、しっかりと彼女に潰されてしまったらしい。そして、そんな彼の面倒を押しつけられたのが、ライルだった。
しかし、彼もしっかりと酔っていたのだろう。
刹那を部屋に送り、ベッドに寝かしつけたところで限界になったのか。そのまま、己の欲求のまま、脇に滑り込んだ……と言うことらしい。
「よっぱいなら、妥協するしかないわよね」
苦笑と共にアニューがこう言ってくる。しかし、彼女も胸をなで下ろしていたことを見逃すティエリアではなかった。
「そうだな」
ともかく、楽しく過ごしていてくれるならそれでいい。
そう考えてとりあえず接触を切ろうか……と思ったときだ。
「……ちっ」
「あら」
そこに、同類の存在を見つけて二人はそれぞれに不快感を顕わにする。
「何を考えているんだ、あいつは」
「他にもいるわね」
どちらにしても、自分たちにとって不本意な状況になりかねない。
「どうしてくれようか」
「と言うより、目的は何なのかしら」
「刹那、だろう」
それ以外に考えられない。ティエリアはきっぱりと言い切る。それ以外に、あそこに連中の興味を引くものはないはずだ。
「でも、彼がいなくなったら、ライルが悲しむわ」
こうなったら、しっかりと反撃しないと。そういうアニューに、ティエリアもしっかりと頷いて見せた。
04
いきなり、プトレマイオス――いや、刹那・F・セイエイ周辺のセキュリティが強化された。
「偶然かな、これは」
リボンズはそういってリヴァイヴへと視線を向ける。
「ばれたのでは?」
そうすれば、一言、こう言い返された。
「ばれるような行動は取っていないはずだ」
少なくとも自分は……と口にした瞬間だ。ヒリングがさりげなく離れていこうとするのが確認できた。
「どこに行くのかな、ヒリング」
にこやかにその二の腕を掴みながら問いかける。
「えっと……」
探し物に、と微笑みながらヒリングが言い返してきた。しかし、その頬が引きつっていることを見逃すものは誰もいない。
「その前の、何か言うべきことがあるんじゃないのかな?」
ヒリングに負けじと微笑みを浮かべながら、リボンズは問いかける。
「……気のせいじゃ、ないかな?」
てへっと首をかしげながらヒリングが告げた。
「と言うことで……ちょっと気になるものを見つけたから、行くね」
確認してくるから、リボンズの腕から逃れようとする。しかし、それを許すつもりはない。
「それでごまかせると思っているのかな?」
ヴェーダとのリンクは切られてしまった。だが、それでも上位種としての力はまだ行使できる。
「今なら、まだ、おしおきはしないでいてあげるよ?」
優しい声音を作りながら、さらに言葉を重ねた。
「……本当?」
それに、上目遣いに聞き返してくる。
「もちろんだよ」
こう言うところが可愛いい。そう思いながらリボンズは頷いて見せた。
「……あいつらのマザーに、ちょっと仕掛けをしたの。ばれないようにきちんとしていたはずなのに、誰かがそれを改変したらしくて……」
見つかっちゃったみたい、とヒリングは告げる。
「……改変?」
言い訳なのか、それとも……と思いつつ、こう聞き返した。
「そう。だって、同じようなのを三つしかけたんだけど……見つかったのは一つだけなんだもの」
誰かがわざと見つかるようにしたに決まっている。そう言って、ヒリングが唇をとがらせた。
「誰がそんな馬鹿馬鹿しいことを」
するのか、と呟く。
「一人だけ、心当たりがあるが」
不意にリヴァイブが口を挟んでくる。
それに『誰が』と聞き返そうとしてやめた。思いあたる相手の顔を思い出したのだ。
「リジュネ、か」
確かに、彼ならばやりかねない。
「だが、何故だ?」
「漁夫の利でも狙っているのではないか?」
自分たちとティエリアがにらみ合っている内に刹那を手に入れようとしているのではないか。
「なるほど」
しかし、どうするべきか……とリボンズは呟く。
「ともかく、当面は君の持っているデーターを貰おうか」
ヒリング、と微笑みかける。
実体を手に入れないうちは、あれこれ画策しようとしても当人に直接接触することは出来ない。だから、その間に刹那の好みを把握しておくべきだろう。
「この前は、それで失敗したからね」
今度はしっかりと準備をしておこう。こう言ってリボンズは笑みを深めた。
不意に刹那が視線を移動させた。
「どうしたの?」
それにフェルトはこう問いかける。
「……誰かに見られているような気がしただけだ」
気のせいだろう、と刹那は直ぐに淡い笑みを浮かべた。
「ロックオン、じゃなくて?」
そんな彼に、思わずこう言い返す。
「違うだろう」
「でも、あのロックオンよ?」
一応、注意しておかないと。そういう彼女に、刹那は「そうなのか」と首をかしげて見せた。
05
最近、何故かフェルトににらみつけらている。しかし、ライルには思いあたる節はない。
「俺、何かしたっけ?」
それとも、無意識に何かしたのだろうか。そう思って、ラッセに問いかけてしまった。
「さぁ」
流石に、自分もわからない。そうラッセは言い返してくる。
「でも、女の子達はちょっとしたことで人のことを目の敵にしてくれるから」
俺も昔は良くあれこれ言われていたから、と彼は苦笑を浮かべた。
「まぁ、あのころはロックオンがうまく取りなしてくれたし……リヒティもいたしな」
刹那とティエリアはともかく、そういう意味では仲間がたくさんいたから……と彼は続ける。
「今のこぢんまりとした感じも嫌いじゃないがな」
あのころのように、いつ、敵が襲ってくるかわからない。そういう状況じゃない。その分、気分的にはかなり楽だ。
逆に言えばそのせいであれこれ言われるようになっているのかもしれないが。そう言ってラッセはさらに苦笑を深めた。
「……兄さん、か」
別段、ラッセには何も含むものはないのだろう。それでも引っかかりを覚えてしまうのは、自分の方がこだわっているからなのか。それとも、とライルは心の中で呟く。
「刹那はもちろん、フェルトもあいつが面倒見ていたようなもんだからな」
そういう意味で、こだわりが強いんだろう。だから、余計にライルとの差が気になるのではないか。
「逆に言えば、お前さんのことを気にしているからだろうな」
どうでもいい相手であれば気になるはずがない。
「だといいけど」
でも、やはりここでは自分よりもニールの方が上なのか。そう考えて落ちこみたくなる。
「……まぁ、刹那はとりあえず俺を《俺》としてみてくれているからいいけどな」
でなかったら、本気で落ちこみたくなる、と付け加えた。
「そのあたりは我慢するんだな」
まぁ、機会があったら聞いておいてやるよ。ラッセはこう言いながら彼の肩を叩いてくる。
「頼む」
ため息とともにライルはこう言い返した。
しかし、とんでもない濡れ衣をかけられていたというのは何なのだろうか。
「……何で俺が……」
確かに、この場にいるマイスターは自分と刹那だけだ。だから、一緒にいることが多い。
そうなれば、彼の一挙一動が気になるのは当然のことではないだろうか。
「兄さんがそういう相手として選んだ人間だし」
刹那が男かどうか、と言う問題はとりあえず棚上げをしておく。あの兄の心の傷を埋めてくれただけでも十分ではないか、と思うのだ。
「それに、刹那自身が人目を引くんだよな」
最近、妙に美人になってきたような気がするし……と付け加えた瞬間である。何かが後頭部にぶち当たった。
「……ってぇ……」
何だよ、と思いながら視線を向ければ、ハロが楽しげに飛び跳ねているのが見える。
「お前かぁ?」
犯人は、と口にしながら、そのはろを拾い上げた。自分の側にいるオレンジや、沙慈の側にいたレッドとは違う、淡いラベンダーのそれは愛しい女性の姿を連想させる。
「まったく……アニューの髪の色と同じくせに、中身は違うんだな」
ちゃんと周囲を確認してから移動しろよ。そう付け加えると、彼はそれを手放す。
だが、何故かそれはライルの側から離れようとはしない。
「ひょっとして、お目付役か?」
俺って、そんなに信用ない? と思わずぼやきたくなる。
「チガウ、チガウ」
しかし、ハロはこう反論してきた。
「そうか」
とりあえず、もう二度とぶつかってくるなよ? と苦笑と共に告げると移動を開始する。当然のように、ハロも同じ速度でついてきた。
「何なんだよ、もう」
こうなったら、イアンに聞いてみようか。それともミレイナか誰かのほうがいいのかもしれない。そんなことを考えながら彼はブリッジへと向かった。
数日後、ライルは何故自分がフェルトからにらまれているのか教えられた。
「……はぁ?」
その内容に、思わず目を丸くするしかない。
「俺が刹那を?」
どこからそういうことになったのか、と思わず口にしてしまう。
「刹那が、誰かに見られているような気がするからって……」
犯人はライルだと思ったのだ。フェルトはこう言って肩をすくめる。
「何で俺……」
確かに、刹那と一緒にいる時間は増えたが……とライルは呆然としたまま言葉を口にし始めた。
「だからといって、どうして、俺が刹那を襲わなければならないんだよ!」
そんな恐ろしいことが出来るか! と思わず口走ってしまう。
「恐ろしいって……」
「どこからあのティエリアが見ているかわかったもんじゃないんだぞ?」
それに、とさらに言葉を重ねる。
「俺にはアニューがいるんだ!」
たとえ、死に別れたとしても、彼女以上に愛せる存在はいない! と言い切った。
その瞬間、女性陣の彼を見る目が微妙に変化したのはどうしてなのだろうか。それだけではない。あのハロまでが足元に懐いてくる。
「なら、誰なのかしら」
フェルトはこう言って首をかしげた。
「気にするな。無視すればいいだけのことだ」
刹那はいつもの口調でそう告げる。
「そういうわけにはいかないわ」
でも、このメンバーではないとすれば……と呟く。
「フェルト」
不意にスメラギが口を挟んでくる。
「なんでしょうか」
「とりあえず、システムを全部チェックしてくれる? あるいは、何かがしかけられているかもしれないわ」
アニューを悪くは言いたくない。しかし、と彼女は続けた。
「……イノベーターの中には他人の意志を操れるものもいた」
だから、と刹那も口にする。
「わかりました」
だとするなら、可能性はあるだろう。納得をしたようにフェルトは頷いてみせる。そして、直ぐに行動を開始したのだった。
「どうやら気付いてくれたようだな」
その様子に、ティエリアはほっとしたように呟く。
「こちらの方も安全なようよ」
ハロを自分の端末として使える。後は、何とかしてCGを表示できるようにさせるだけだ。アニューがそういってきた。
「そうか……完成したら、これをあちらに避難させるべきだろうな」
もっとも、その前に本人の意思を確認しなければいけないが。そういいながら、ティエリアは自分が抱きしめているデーターへと視線を落とした。
「触れられなくても話すことだけはできるものね」
その間に、新しい肉体を育成すればいいだけだから。アニューも微笑む。
「でも、本当によかったの?」
「多少割り切れない事態だったとしても……あいつらに邪魔されるよりはましだ」
その場面になれば、きっと、いいアイディアが浮かぶに決まっている。ティエリアはそう言って笑って見せた。
06
「……ニール・ディランディ?」
どこかで聞いたような名前だが、とリボンズは首をかしげる。だが、直ぐにガンダム・マイスターの一人だったと思い出した。
「それが?」
「あの刹那・F・セイエイの想い人だったみたい」
ついでに言えば、一線も越えていたみたいね……とヒリングはため息をつく。
「道理で、私が声をかけても反応も返してこなかったわけだわ」
さらにこう付け加えている。だが、リボンズはそれを無視した。
「……彼の恋人はティエリアだ、と思っていたのだけどね」
少なくとも、それらしいシーンを見掛けたが……と彼は続ける。
「……って言うか、ニール・ディランディは死んでるでしょ?」
四年前に、とヒリングが背後からのしかかってきた。
「だから、その寂しさをティエリアで埋めたのか……あるいは、四年の間に彼も成長をしたってことかも」
十分にあり得るわよね……とヒリングは笑う。
「ってことは、ひょっとしたら、ニール・ディランディが手に入れば、必然的にあの子も手にはいるのかしら?」
だとするなら、その後で矯正して上げてもいいわね、と付け加える。
「私の魅力を《魅力》として受け止められるように」
「……別に、それは僕でも構わないわけだ」
リボンズはそう言って笑った。
「リボンズ?」
何を、とヒリングが聞き返してくる。
「その方が、色々といいとは思わないかい?」
第一、自分以上に彼にふさわしい相手がいるとは思えない。そう言う彼にヒリングは頷いて見せた。
「マイスターのパーソナルデーターはヴェーダの中に保存されていたはずだ」
その思考パターンも含めて、とリボンズは口にする。
「それに、器なら、どうとでも出来る」
DNAもどこかにあったはずだ……と彼は続けた。
「なくても、取ってくればいいじゃない」
確か、今のロックオン・ストラトスとニールディランディは一卵性の双子だったはず、とヒリングが告げる。
「あぁ。外見だけなら予備があるか」
ならば、後はパーソナルデーターだけだな……と言いながら、リボンズはヴェーダへとアクセスを試みる。もちろん、正式な手段を使えば、あの厄介な連中に見つかりかねない。だから、と細々と策を施しながら接触をした。
万が一、逆探知をされれば、間違いなく自分たちは消滅させられる。その事実がわかっているのだろう。ヒリングも今は大人しい。
それを幸いと、データーサガしに集中をする。
「ちっ!」
それは直ぐに見つかった。しかし、とリボンズは忌々しさを隠せない。
「どうしたの?」
ヒリングがおそるおそる問いかけてくる。
「……ティエリアが抱え込んでいる」
これでは、こっそりと奪い取ることも出来ない。
「どうしてやろうか」
こうなったら、こちらも意地だ。
だから、絶対に奪い取ってやる。
そのためにはどうすればいいのか。リボンズはそれを考え始めた。
07
「ティエリア?」
どうしたの? とアニューが問いかけてくる。
「どうとは?」
しかし、何故、そう問いかけてくるのか。それがわからない。そう思って、逆に聞き返す。
「眉間にしわが寄っているわ」
それに、まるで卵を抱いた親鳥みたいよ……と微笑みながら付け加える。
「仕方がないですね。リジュネにこれを渡したら何をしでかしてくれるかわかったものではありません」
その結果、苦労をするのが自分だけならばまだいい。
だが、間違いなく、刹那とライルをはじめとしたCBのメンバーにも波及するだろう。
「……ライルにも?」
不本意ながら敵対しなければいけなかったとは言え、誰よりも愛した相手の名前に、アニューの声が震える。
「おそらく」
きっぱりとした口調でティエリアは言い切った。
「それが何のデーターなのか、聞いてもいい?」
さらにアニューは問いかけの言葉を口にする。
「そうすれば、フォローして上げられるかもしれないし」
彼女はさらにこう付け加えた。
その言葉に、どうしたものかとティエリアは考える。ヴェーダの中にいる以上、疲労や睡眠と言ったものとは無縁だ。しかし、データーのチェックや何かの時に、隙が出る可能性は否定できない。
そして、同じタイプだから、だろうか。
リジュネがその隙を見逃すはずがない、とわかっている。
だが、そんなリジュネもアニューには頭が上がらないらしい。それでなくても、彼女を味方につけられれば、自分の負担が軽くなる。
とっさにそう判断をしてティエリアは口を開く。
「ニール・ディランディのパーソナル・データーだ」
CBに入ってからの彼の言動や思考パターン、そして、それ以前の行動が全てここにある。その気になれば、それから彼の複製を作ることすら可能なのではないか。
「でも、DNAのデーターが……あったわね」
ライルとニールは一卵性の双子だったわね……とアニューはため息を吐く。
「そうだ。外見だけならば、そっくりだった」
中身はまったく違ったが。そう付け加えたのは、ライルをバカにしてのことではない。自分たちにとって、それだけニールの存在が大きかっただけなのだ。
「仕方がないわ。ライルは弟だもの」
たとえ双子であろうとも、とアニューは苦笑と共に付け加える。
「そして、ニールは間違いなく長男だったのでしょう?」
典型的な、と言われてティエリアは頷く。
「そうだな……彼の言動は今の刹那のそれに近い」
彼をかま倒していたから。柔らかな笑みと共にティエリアは告げる。だからといって、他の者達をないがしろにしていたわけではない。ただ、あのころの刹那がものすごく手がかかっただけだ。そして、おそらく自分も、だろう。
「……もし、その彼があの時の君のように連中に利用されたらどうなるか。考えたくもない」
その言葉に、アニューも頷いて見せた。
「そう言うことなら無条件で協力させて貰うわ」
とりあえず、ダミーでも作りましょうか……と彼女は口にする。
「いっそのこと、ここから切り離すのもいいかもしれないけれど」
でも、どこに……と首をかしげた。
「あいつらにも迂闊に手出しできないところ、か」
どこだろうな。そう考える。しかし、直ぐには思い浮かばない。
「とりあえず、今はこれを手放さないようにしておかないと」
「そうね……今はそうするしかないわ」
ついでに、少なくとも彼には馬鹿なことを考えないようにして貰いましょう。言葉とともにアニューは視線を移動させる。その先で見覚えがある影が硬直しているのがわかった。
ぶるっと小さく体を震わせる。
「どーした、刹那?」
それに気が付いたのだろう。ライルが即座に問いかけてくる。
「何でもない」
そう、何でもないはずだ。それなのに、どうして、こんな風に悪寒が走るのだろうか。
「……ティエリアに聞けばわかるのか?」
この言葉とともに、刹那は視線を空へと向ける。しかし、それに答えを返してくれるものはいなかった――まだ……
08
泣きながら、リジュネが何かを調べている。彼の背後ではどこから取り出したのかわからないむちを持ったアニューが彼をにらみつけていた。
「……ひょっとして、接触を持ったときにあいつの悪いところを取り込んでしまったのか?」
それとも、これもまた彼女の本性なのだろうか。
だとするならば、彼女の恋人だったライルは……と考えてティエリアは即座にそれを消去する。
「何か言いました?」
彼の呟きが聞こえたのか。アニューが問いかけてくる。
「いや……何で同じタイプなのに、そいつと僕はここまで違うのだろうか……と考えていただけだ」
それも、リボンズの影響なのか。それとも、最初からの設定なのか、とテクエリアは言い返す。
「そう言うことにしておきましょう」
にっこりと微笑みながら、彼女は言葉を返した。
「どちらにしても、ライルを悲しませかねないようなマネをする人間は許しておけないもの」
つまり、そちらの方が重要だったと言うことか……とティエリアは納得する。
「それよりも……やはり、それはヴェーダから切り離されたところに隠しておいた方がいいと思うのだけれど……」
その相談は、リジュネのいないところでした方がいいのではないか。アニューはそう言った。
「そうだな」
とりあえず、それが一番良いだろう。そして、その方法もヴェーダの中を検索して見つけた。
そして、彼等であれば無条件で協力をしてくれるだろう。
「なら、これをちょっと隔離してくるわ」
その間にティエリアはティエリアで行動をしていていてくれると嬉しい。そう言ってアニューは微笑む。
「当然だ」
できれば、アニューにも知られない方がいい。彼女を信用していないのではなく、知るものが少ない方が安全だと判断するからだ。
ティエリアの考えがわかったのか。アニューはリジュネを引きずるようにして離れていく。その気配が消えたところで、ティエリアは協力を求めるためにプトレマイオスへと回線を開いた。
数日後、緑色のハロが艦内を飛び回っているのが目撃された。
「……これは?」
今開発中の新型のためのハロか? とライルが問いかける。
「違いますぅ。それは、セイエイさんのです」
そう言ったのはミレイナだ。
「……俺の?」
いったいどういうことだ、と刹那は聞き返す。
「この前、アーデさんから頼まれたんですぅ。だから、パパが作ってました」
彼が持っていて欲しいのだと言っていた。ミレイナはそう続ける。
「ティエリアが?」
と言うことは、何か理由があるのかもしれない。刹那はそう判断をする。
「わかった。俺が預かろう」
言葉とともに、ハロに向かって手を差し伸べた。次の瞬間、大きくはねると、真っ直ぐに手の中へと落ちてくる。
「よろしく頼む」
こう言って微笑めば、ハロは答えを返すかのように目を点滅させた。
このハロがとんでもないものだとわかったのは、しばらく経ってからのことだった。
09
いったい、何故、彼がここにいるのだろうか。
あの時、この手でとどめを刺したはずなのに。
そう考えながら、刹那は身構える。そして、そんな彼の前では、まるで彼を守るかのようにハロがはねていた。
『そんなに警戒をしないでくれないかな、刹那・F・セイエイ』
苦笑と共に目の前の相手――リボンズが言葉を口にする。
『ただ、僕もちょっと考え直してね。君とは色々と話をしたい、と思っただけだよ』
そう言いながら、刹那の方に近づいて来ようとした。だが、それをハロが阻む。
「……話をするだけなら、近づかなくても良いだろう」
離れていても十分出来る、と刹那は告げる。
そんな彼にリボンズは驚いたような表情を作った。
『驚いたな。君がそんなことを言うとは』
てっきり恨まれていると思ったが、と彼は続ける。
「……恨んでいるのとは違うな。お前は、なすべきことをした。俺も、だ。ただそれだけだろう」
もっとも、許せないと思うことはあるが……と刹那は言い切った。
『なるほど』
人間とは難しいものだ、とリボンズは言う。
『そんな矛盾を抱いて、困らないのか?』
「それが人間だ」
誰であろうと、矛盾を抱かずにはいられない。その上で悩み、選択をする。
そうすることで、人は成長することが出来るのだ。刹那はそう続けた。それに同意をするようにハロが目を光らせる。
『本当に、君は興味深いね』
だからこそ、惹かれる。
その言葉がどこまで本心なのだろうか。刹那はそんなことを考えてしまう。
そしてハロは、気に入らないというように何度もリボンズへ向かって体当たりを開始した。しかし、相手はただのホログラムだからその体をすり抜けてしまう。
「勝手に言っていろ」
手を伸ばしてそんなハロを掴むと、刹那はこういった。
「……ただ、お前には感謝している」
自分を見つけてくれたことに関しては、とさらに言葉を重ねる。
『何を……』
「だからこそ、俺はガンダム・マイスターになることが出来た。そして、進むべき道を見つけられた」
この事に関してだけは、と告げた瞬間だ。リボンズは信じられないというように目を見開く。そして、そのまま姿を消した。
「何だったんだ、あれは」
あきれたように刹那は呟く。
もちろん、それに対する答えはない。
「どうせなら、ティエリアが来てくれた方がいいのにな」
でなければ、といいかけてやめる。彼が同じように戻ってくることはあり得ないのだ。
「……ニール・ディランディ」
無意識にこぼれ落ちた名前に答えるかのように、ハロの耳が何度も上下したことに、刹那は気付かなかった。
10
そんなことを考えていたのがいけなかったのだろうか。
『刹那・F・セイエイ!』
言葉とともにティエリアが姿を見せる。
「久しぶりだな、ティエリア」
いつもの口調でこう呼びかけた。しかし、彼は刹那をにらみつけてくるだけだ。
「……どうかしたのか?」
何故彼がそんな態度を取るのかわからない。そう思いながら問いかける。
『……君は、リボンズに何を言ったんだ?』
先日から不気味な様子を見せている、と彼はため息混じりに告げた。
「自分を見つけてくれたことには感謝している。そう言っただけだが?」
あの日、Oガンダムに乗っていた彼が自分を見つけてくれなかったら、マイスターになるどころか死んでいただろう。だから、そのことに関しては感謝していると言っただけだ。いつもの口調でそう言い返す。
『と言うことは……あれはリボンズの勘違いか』
どこかほっとしたような口調で彼は呟く。
『まぁ、そうだとは思っていたが』
「ティエリア?」
いったいどういうことになっているのだろうか。言外にそう問いかける。
『君の貞操観念は堅い、と言うことだよ』
それは知っていたが、リボンズの騒ぎぶりに少しだけ不安になったのだ。彼はそう言って微かな笑みを浮かべる。
「迷惑をかけたか?」
『気にすることはない』
いつものことだ、と彼は付け加えた。
『だが、こちらも少し計画を早めるべきだろう』
色々な意味で、と彼は続ける。
「何をするつもりだ?」
その言葉に引っかかるものを感じてこう問いかける。
『直ぐにわかる』
楽しみに待っていてくれ。そう言われても素直に頷けない。
「ティエリア・アーデ」
低い声で彼の名を呼ぶ。
『君にとって悪いことではない、と思う』
だから、安心してくれ……と彼は続ける。そうまでして隠さなければいけないこととは何なのだろうか。しかし、ティエリアが嘘を言うはずがない、と思う。
「……わかった」
ティエリアが話しても構わないと考えるときまで待つ、と口にした。
『そうしてくれると嬉しい。何、直ぐだ』
彼は微かな笑みを口元に浮かべるとそのまま姿を消す。
「何なんだ?」
訳がわからない。それでも待つと言ったのだから、教えてくれるまで待とう。そう告げると、視線を移動する。そんな刹那に意識を向けて欲しいと言うかのようにハロが飛び跳ねていた。
「何だ、お前は」
来い、といいながら手を差し伸べる。そうすれば、待ち望んでいたかのようにその手の中に飛び込んできた。
11
それからしばらくの間、刹那は紛争処理で走り回ることになってしまった。
「……何で、争うんだろうな」
ため息とともにそうはき出す。
しかも、だ。ガンダムを使わない介入は今まで以上に神経を使う。それはきっと、自分たちの存在を表沙汰に出来ないからだろう。
悟られないように、だが、確実に介入を行わなければいけない。
それでも、ヴェーダの協力が得られるからかなり楽だと言っていい。
規模が大きくなる前に介入できるから、現状でも何とかなるのだ。しかし、その分、マイスターの負担が大きくなってしまうのは仕方がないだろう。
そんなことを考えながら刹那はベッドに体を横たえる。そうすれば、まるで寄り添うかのようにティエリアから預かったハロが転がってくる。
「慰めてくれるのか?」
頬にすり寄るような動きを見せるハロに、刹那は微笑んだ。
「大丈夫だ。少し疲れただけだ」
眠れば、元に戻る。そう言うと刹那は目を閉じた。
そのころ、ヴェーダの中では別の意味でティエリアが介入を行っていた。その左右にはリジェネとアニューがいる。
『いったい、何をするつもりなのかな?』
にやりと笑いながらリボンズが問いかけてきた。
『わからないとは言わせない』
硬質な声音でティエリアが言う。
『君達が何をしているか、気付かない僕たちだと思うのか?』
今回、刹那達が行った介入の原因は、全てリボンズがお膳立てをしたものだ。ヴェーダを掌握している自分たちの目をかいくぐってよくもそんなことが出来たものだ、と感心をする。
しかし、それに返された彼の言葉は予想もしていないものだった。
『そう言えば、そんなこともしていたか』
忘れていた、とリボンズは呟く。
『忘れていた?』
思わずこめかみに血管――もちろん、あくまでもイメージだ――が浮かぶ。
『本当だよ。まぁ、あそこをつつけばソレスタルビーイングが出てくるとは思っていた。それも、彼が』
そこで接触を取るか、ティエリア達が意識をそらしている間に、例のデーターを奪うか、そう考えていたのだ。
『でも、それももう、どうでも良くなったしね』
欲しい言葉をもらえたから、とうっとりとした表情で笑う。
『でも、もっと近くにいたいかな?』
傍にいて手助けをすれば、もっと感謝してもらえるかな? と彼は続ける。
『そんなこと、僕が許すとでも?』
やはり、君達は厳重に隔離しなければ……とティエリアは言い返した。
『そもそも、刹那にはきちんとフォローしてくれる存在をつけてある』
だから、リボンズは必要ない。そういうと同時に、彼等の周囲に檻が現れた。
『これは……』
『見ての通りのものだ』」
綺麗な微笑みと共にティエリアはリボンに答える。
『それを抜け出すのはかなり難しいと思うよ』
さらにこういったのはリジェネだ。
『ランダムにヴェーダによって変数が変更されますから』
さらにアニューが微笑みながらこういった。
『というわけだから、そこで大人しくしていた方がいいと思うよ』
刹那が完全に脳量子波を使いこなせるようになったら解放してもいいだろうか。それとも、もっと別の何かの時か。
だが、今は彼等と刹那を接触させない方がいい。それに関しては、大丈夫だろう。
後は《彼》のことか。
だが、彼がどのような答えを出すのか。それはわかっている。いや、彼の性格を考えればそれしかないだろう。
しかし、それは刹那にとっていいことなのだろうか。それがわからない……とティエリアは心の中で呟いていた。
12
「ダメ、刹那、ダメ。ライル、来ルナ」
「何なんだよ!」
近づこうとしているライルを、緑のハロが邪魔している。
「刹那! こいつを止めてくれよ」
困ったような表情でライルが声をかけてきた。
「……俺はこれから睡眠時間なんだが……」
だから、ハロが邪魔をしているのではないか。刹那はそう言い返す。
「それの人格設定の基本はティエリアが作ったそうだし」
だが、別の誰かを思い出すのは錯覚だろうか。心の中でそう呟く。何というか、ハロのこの妙にまめまめしい世話焼きぶりが今はいない誰かを思い起こさせてくれるのだ。
しかし、それならば何故、目の前の相手の世話は焼かないのだろうか。
「……仕方がねぇな。じゃ、起きてからでいいや。ちょっと相談に乗ってくれ」
急ぎじゃないけど、とライルは笑う。
彼のスケジュールはどうなっていただろうか、と考えれば脳裏に即座に浮かんでくる。どうやら、無意識にヴェーダにリンクしてしまったらしい。
「わかった。お前の休憩にあわせて食堂に行く」
気をつけないといけないな、と思いつつ刹那はそう言った。
「頼むな」
だが、彼にはそれで十分だったらしい。にぱっと笑うと、そのまま離れていく。
「……よく似ているかと思ったが……やはり、違う表情を見せるな」
彼とは、と刹那は呟く。もう三十歳に手が届くという男に言っては何だが、甘え上手だと思える。
「ニールが甘やかしたんだろうな」
双子だというのに、と呟けば、何故かハロが反論するように「チガウ、チガウ」と騒ぐ。
「何が違うんだ?」
そう言いながら、刹那は淡く笑った。そのまま手を差し出せば、ハロは飛びつくようにそこに収まってくる。
「まぁ、いい。眠らないとな」
何があるかわからない。だから、休めるときに休んでおかないといけないだろう。
自分に言い聞かせるようにそう呟くと、刹那はハロを抱きしめたまま部屋へと向かった。
そう言えば、彼もよくそうしていたな……と何の脈絡もなく思い出してしまったのはどうしてなのだろう。あるいは、ライルと彼を比較してしまったからか。
「……お前が今、傍にいてくれればいいのにな」
小さなため息とともにこぼれ落ちた言葉は、誰の耳にも届かないはずだった。
ティエリアから告げられた言葉の意味が直ぐには理解できない。
「……ティエリア・アーデ……」
思わず彼のフルネームを口にしてしまったのも、きっと動揺が激しかったからだろう。
「もう一度言ってくんねぇ?」
それはライルも同じだったらしい。頬を引きつらせながらこう問いかけている。
『そのハロの中には、ニール・ディランディのパーソナル・データーが保存されている、と言った』
しかも、ファイルとして保存しておいたはずのそれが、何故かしっかりと組み込まれている……とティエリアは口にした。
『原因に関しては、既に判明している。元凶に関しては、しっかりとアニュー・リターナーが制裁中だ』
彼の言葉に、二人の頬がさらにひきつる。それは、決して、ハロの中に誰かさんがいるから、ではないはずだ。
『君達が希望するなら、彼のパーソナル・データーは回収するが?』
どうする、とティエリアはさらに問いかけてきた。
「って言うか……何で、そんなもんがあるわけ?」
ひょっとして、自分たちの分もあるのか……とライルが聞き返す。
『……実験だそうだ。ニール・ディランディは、一番最初にマイスターに選ばれた人間だからな。そう言った実験対象でもあったらしい』
何故、そのようなことをしたのか。そこまではわからないが……とティエリアは言い返してくる。
「そうか……」
刹那は優しい視線をハロに向けた。
そこにあるのは、ティエリアのように完全な自我を持っているわけではないだろう。それでも、彼を思い出させる存在ではあるはずだ。
「……俺は、別に構わない」
小さな声で、そう告げる。
「刹那がそう言うなら、俺も構わないが……これが兄さんだなんて、ちょっとなぁ……」
せめて、どんな形でもいいから本人の姿があればいいのに。ライルは苦笑を浮かべながらそう付け加える。
『それに関しては、何とかなると思う』
イアンに言っていこう、と言われてライルが慌てたのは、きっと、冗談のつもりだったからだろう。
「ティエリア!」
呼び止めようとする彼を無視して、ティエリアが姿を消してしまった。
「……マジ?」
呆然としながら、彼はハロへと視線を向ける。
『ジゴウジトク、ジゴウジトク』
その瞬間、告げられた言葉に刹那の口元に笑みが浮かんだ。
13
かつてのような派手な介入はなくなった。
それでも、ソレスタルビーイングの活動が完全に停止したわけではない。むしろ、他の者達に気取られないようにするためにミッションの難易度が上がったような気がする。
だが、それも今の刹那達には困難なことではない。
しかし、二人しかいない状況では、一人一人の責任が重くなってきていることも否定できない。
『刹那、休む』
だが、少しでも無理をしようとすれば、直ぐに緑のハロ――と言うよりは、そこにダウンロードされたニール・ディランディの人格データーがこう言って注意をしてくるのだ。
「わかっている」
本人ではないのに、どうして彼はこうなのだろうか。そう思いながら刹那は苦笑混じりに頷いて見せた。
「しかし、ライルはいいのか?」
注意しなくても、と思わず付け加えてしまうのは、きっと、そんな言葉を向けられるのが自分だけだから、だろう。
『ライルは、自己責任。刹那の面倒を見るのは義務。でなければ、ティエリアに回収される』
流石に、それはいやだ……とだだをこねるのは何故か。
「……ひょっとして、普通に会話も出来るのか?」
言葉がおかしいのは、ハロの言語機能のせいなのか、と思わず聞いてしまう。
『出来るぞ』
耳の部分をぱたぱたとさせながらロックオンハロ――命名フェルト――が言葉を返す。
それならば、そうして貰った方がいいような気がする。この場合、相談するのはやはりイアンだろうか。それとも、と心の中で呟く。
『刹那、寝ろ!』
だが、それを本人――と言っていいのだろうか――が邪魔してくれる。
「わかったから……本当にお前は、昔と変わらず口うるさい」
まったく、と思いながらも、刹那は手早く制服を脱いでいく。アンダーだけになったところでベッドに潜り込んだ。
『お休み、刹那』
その瞬間、ハロの声が届く。しかし、これが彼の声であればもっといいのに。眠りに落ちる瞬間、そんなことを考えてしまった。
目が覚めると同時に、ついついイアンにそのころを話してしまったのは失敗だっただろうか。
何か、妙に張り切られたような気がする。しかし、それを確認する間は刹那にはなかった。ミッションが割り当てられたのだ。
一抹の不安を隠せないまま、一人、地球に降下した彼だった。
そして、その不安が間違っていなかったとわかったのは、戻ってからのことだ――もっとも、その時にはもう、遅かったが。
『よう、刹那。お帰り』
目の前に、ニール・ディランディの顔がある。その足元にはハロの姿も確認できた。
どうやら、これはハロが投影しているCGらしい。しかし、何故……と思う。
「ワシの弟子がな。似たようなシステムを作っていたから、その流用だ」
どうやら、十二分に使えるようだな……と満足そうに彼は頷いている。
「これなら、ティエリアにも流用できるしな」
確かに。これならばヴェーダの中にいる彼とここで会うことも可能だろう。もっとも、自分には必要がないが……と刹那は呟く。
「しかし、これでは移動が出来ないだろう?」
「それは仕方がないな。まぁ、音声システムも改良したから、会話だけなら困らないぞ」
それを証明するかのようにニールの姿が消える。
『とりあえず、ミス・スメラギに報告をして、それから休め』
いつものように飛び跳ねながらニールの声でこう言ってきた。それは、間違いなく自分が知っている彼の言葉だ。
「あぁ、そうする」
言葉とともに手を差し出せば、ハロがその手の中に飛び込んできた。
「しかし、ライルはどんな反応を見せるだろうな」
今のお前を見て、と刹那は呟く。
「まぁ、直ぐに確認できるか」
彼も直ぐに戻ってくるだろうから。そう言えば、同意をするようにハロは目を光らせた。
ライルの反応がどうだったか。それはあえて言う必要はないだろう。
14
それから、長いようで短い時間が過ぎた。
「……俺には、生まれてきた意味があった」
ELSの母星に向かうクオンタのコクピットで刹那は微笑む。
『刹那……』
それに、ティエリアが言葉を返そうとしたときだ。
『生まれてきた意味を持たない人間はいない、と言うことだろう』
コクピットの隅から声が響いてくる。
反射的に視線を向ければ、そこには見慣れた緑色のハロがいた。
「何故……」
思わずこう呟いてしまう。
『おやっさんが心配したから、だろうな』
自分も気にかかっていたから、と言いながらハロが近づいてくる。そのまま刹那のひざの上に降りた。
『ティエリアが一緒だから安心だとは思っていたが、俺も付いていきたかったんだよ』
オコサマの面倒を見るのは俺の役目だからな、と昔のように彼は笑いを漏らす。
『三人なら、何とでも出来るだろう?』
『確かに』
ティエリアもそう言って頷いて見せた。
「そうだな。三人なら、構わないか。アレルヤやライルには申し訳ないが」
後始末を押しつけることになるだろう。それでも、と刹那は笑みを深める。
「俺は、お前達が一緒にいてくれて嬉しい」
こう言えば、二人とも頷いてくれたような気配が伝わってきた。
あの日から、どれだけの時が過ぎただろうか。
既に、時間の感覚は曖昧になってしまった。もともとELSには《時間》と言う概念がなかったし、彼らと融合を果たした自分も時を止めてしまったようなものなのだ。
「いっそ、お前もELSに体を作ってもらえばいいのに」
いつの間にかちゃっかりと元の姿に戻っていたニールが、相変わらずターミナルユニットの中にいるティエリアに向かってこう言っている。
『このままで構いません。新しい肉体はヴェーダが作ってくれているはずですから』
もっとも、ニールがそうして肉体を持ってくれた事はいいことだと思うが、とティエリアは言い返す。
「確かに。おかげでこのオコサマを抱きしめてやれるしな」
そう言うと彼は背後から刹那を抱きしめてきた。
「俺はもうオコサマと言われるような年齢ではないと思うのだが」
ため息とともに刹那は言い返す。その瞬間、彼の言葉に同意をするような意志がさざめきのように伝わってくる。どうやら、ELSもそうだと言いたいらしい。
「オコサマはいつまで経ってもオコサマなんだよ。少なくとも、俺にとってはな」
それでいいんだよ、と彼は耳元で囁いた。
「勝手に言っていろ」
ため息とともに刹那は言い返す。
「それよりも、そろそろ戻った方がいいような気がするが……」
ここで知ったことを地球にいる者達に伝えなければいけない。しかし、と刹那は顔をしかめる。どうすればいいのだろうか、それは……と思うのだ。
『イノベーターの数が増えているはずだ。脳量子波を使って彼らに伝えればいい』
彼らに伝われば、その周囲にいる者達も知ることが出来る。そうして少しずつ広めていけばいい。ティエリアはそう言った。
『一度に変える必要はないだろう』
急げば、どこかに歪みがでる。だから、と彼は続けた。
「そうだな。時間はあるんだ。ゆっくりと世界を見つめていこうぜ」
大丈夫。自分は傍にいるから。ニールはさらにこう続ける。
「そうだな」
一人ではない。だから大丈夫か、と刹那も頷く。そして、そのまま甘えるようにニールへと体重を預けた。
そんな彼らの周囲でELS達が応援するかのように形を変えていく。それは彼らの記憶の中にある美しい花々の形をしていた。
終